こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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人体解剖が困難だった時代は 動物の所見をあてはめていたようです。

解剖学の新たな展開

東京医科歯科大学医学部解剖学教授

佐藤 達夫 氏

さとう たつお

佐藤 達夫

1937年仙台市生れ。63年東京医科歯科大学卒業。母校の付属病院でインターン生活を経た後、64年同大学大学院医学研究科へ進む。学位論文の「アシカの背筋を支配する神経に関する研究」以降、比較解剖学が研究の課題に。68年大学院を修了。福島県立医科大学に解剖学の講師として赴任。70年東北大学助教授。74年から現職、年60回行われる解剖実習の責任者として教育および献体業務に携わる。82年の「献体者への文部大臣感謝状贈呈制度」、83年の「献体法」の実現に貢献、現在、献体団体と医歯系大学の連絡機関である「篤志解剖全国連合会」副会長。癌等の手術でQuality of Life (QOL)を配慮した機能温存の必要性が高まってきた現在、外科医の要請に対応した臨床解剖学研究にも力を注いでいる。医学博士。

1993年2月号掲載


筋肉の並び方、つながり方にも歴史的な意味がある

──「解剖学」というと、医学のベースになる学問というイメージが強いのですが、先生にとって解剖学のおもしろさとは何でしょうか。

佐藤 解剖をしていますと、人間の身体が何十億年もかかってつくられてきたものだということを強く感じるんです。突然現れたものではなく、単細胞の生物から徐々に進化してきた。それもでたらめに変ったのではなくて、一定のライン、法則をもって変ってきたわけです。例えば、筋肉の並び方、つながり方にも歴史的な意味があり、神経や血管、内臓の絡み合いもそれなりの関連性があります。人間社会でも、建物があれば必ず道路、電線、下水道等があって相互に関連し合っているわけですが、それと同じことです。しかもそれが実にうまくできているのです。また、進化にしても、突然外からまったく新しいものを取り入れるのではなくて、何かに対して自分の持っているもの、あるものを使って対応していくことで起こっていったと言えます。そういうことを考えながら解剖をやっていますと、そのうちこういう筋肉ができてきてもおかしくないなとか、この臓器はこういう経緯でできてきたものだからこういう弱点があるな、など、興味深いことがいっぱいあります。

──なるほど。病気の原因なんかもわかるんでしょうか。

佐藤 そうですね。例えば、脳がどんどん発達してくる、しかし脳にくる血管の配置は旧態依然としている。まるで東京の道路みたいなもので、脳が大きくなるにつれて、高速道路や太い道路が別にできるのならいいけれど、血管の配置が同じである以上、必ず無理が生じるわけです。脳がこれ以上大きくなったら滅んでしまう部分が出てくるのではないかと思うんです。


機能を温存しながらの外科手術も可能に

──どこかが進化したら、関連する部分もやはりそれに応じた進化なり変化が必要になってくるということですね。つまり、われわれの身体もそういうことの繰り返しでできあがってきたということでしょうか。

佐藤 ええ。そういうことを検証していく学問を比較解剖学といいます。

──どういうふうに検証・研究なさるのですか。

佐藤 爬虫類、両生類、鳥類、哺乳類、それに人間を解剖して比較しています。例えば、うちの教室では、肛門や陰門の括約筋の研究をしていますが、爬虫類、両生類それに鳥類というのは穴が1つしかありません。しかし人間は尿生殖路と肛門がまったく別になっており、さらに女性の場合は尿と生殖が分かれています。このように1つから2つへと分かれていく時に、その周辺の筋肉はどう変化するのか、というようなことを研究しているのです。そういうことがわかってきますと、例えば、しょっちゅう失禁する人に、肛門括約筋を新たにつくる時、どこから筋肉を引っ張ってきたら治りがいいかがわかるのではないか、ということなんです。

──なるほど。そういうふうに、医学に応用されていくとうれしいですね。

佐藤 ええ。さらに申し上げれば、最近は癌の手術などでも活用されるようになってきました。今までの手術は救命が優先目的で、乳癌ですと乳房を切ってしまったり、直腸癌などはリンパ管等と一緒に膀胱や陰茎にいく神経も切ってしまうため、排尿障害や性機能障害が起きたりした。そのためアメリカなどでは、せっかく命を助けても、逆に訴えられるようなケースが出てきているんです。そこで、機能を温存しながら手術をする必要性が出てきたわけです。その意味でも、解剖学が新たに脚光を浴びているのです。

日本に2冊しかない「ファブリカ」を見ながら
日本に2冊しかない「ファブリカ」を見ながら

まるで美術書のようなヴェサリウスの「ファブリカ」

──ところで、解剖には当然「人体」がつきものです。いつごろから人体解剖ができるようになったんでしょうか。

佐藤 「解剖学」の初めはギリシャ・ローマ時代と思われますが、その頃は人体解剖が禁じられていました。ローマ時代、大量の著作を残した医学者にガレノスという人がいますが、彼などは、戦って傷を負った剣闘士の傷口を覗き込んで内部を観察していたといいます。あとはサル、ネコ、ブタ等の解剖所見をそのまま人体に当てはめて理論を組み立てざるを得ませんでした。これを第1期としますと、第2期はある程度解剖ができるようになって、実際の観察と実験を基礎とする医学が誕生してきた1300年以降と言えるでしょう。ここで登場するのが1543年、アンドレアス・ヴェサリウスが出版した「ファブリカ(組み立て)」と称される本です。ヴェサリウス自身の人体解剖の成果を基に、綿密にしかも美しいイラスト入りで記述した700ページ、縦40センチ、横20センチという大判の本で、200を超える事項が一新され、それまでの、ガレノス等の書物を拠所にしていた医学の権威を根もとから揺がしたものです。

──その本がこれですね(写真参照)。人間がいろいろなポーズで立っていて、しかも一つひとつ細かく筋肉の状態が書き込んである。

佐藤 ええ。すばらしい観察眼です。しかもその人間の背景にはイタリアのバドア地方の風景が一つひとつ丹念に描かれ、筋肉のすべての図を並べると、うしろにその地方のパノラマが浮かぶ仕掛けになっているんです。まさにルネッサンスの息吹が伝わってくるようです。

──しかし、よくこれだけ解剖できましたね。

佐藤 いや、それが、これにも泣き所がありまして・・・。当時はまだ防腐処置法も冷蔵技術も発達していなかったため、不眠不休で3−4日間かかって解剖したわけで、何度も見直しや確認ができるわけではありませんから、必ずしも十分な内容にはなっていないんです。時には動物の解剖から得た所見を人体に当てはめたような部分も見られます。例えば、へその両脇を縦に走っている腹直筋という筋肉がありますが、人間の場合はみぞおちの少し上までしかないんです。しかしこの本では胸の上部まで延びて描かれている。サルかなにかの所見を借用したものと思われます。そして当時もう一つ問題だったのは、解剖する遺体の不足です。まだまだ解剖が神の意志に反するというような考えがあり、当時入手できたのは刑死者だったわけです。ヴェサリウスは裁判官と仲良くなって、処刑期日を自分の都合に合せるなど、便宜を図ってもらっていたようです。また、墓を盗掘していたような形跡もあります。

──これだけの本を作った人でも、決して自由に解剖ができたわけではなかったんですね。

佐藤 そうなんです。そしてその後も解剖学の隆盛とともに遺体の入手困難が各地で深刻化していきました。イギリスあたりでは医学校の近くの下宿屋が行商人などを絞め殺して横流しするようになり、1832年には早くも英国でアナトミカル・アクト(解剖大法)という遺体の入手を合法化する法律ができました。これが第3期と言えますね。

──一方、日本はどうなんでしょう。

佐藤 日本でも明治以来、刑死者とか、刑務所で亡くなった人、行き倒れの人を解剖していた時代もありました。いずれにしても、本人の意向は無視されていたわけです。


臓器提供より理解が得にくい「献体」

──現在は「献体」ということで、自分の意志で医学に貢献できる。これはすばらしいですね。現在、どのくらいの登録者がいらっしゃるのですか。

佐藤 私どもの学校では、登録者が約2,500人くらいいらっしゃいます。年間だいたい60〜70体、すなわち約3%の方が亡くなって献体されます。

──ー解剖の献体というのは、臓器提供に比べ、勇気がいることですよね。

佐藤 ええ。臓器提供の場合は、そのおかげで誰かの目が見えるようになるとか、人の命を救えるというように、非常に直接的でドラマチックです。しかし、献体はそれで勉強した学生が、将来人の命を助ける医者になるんだという、間接的な貢献ですからね。また、役に立つ時は本人は亡くなっているわけですしね。

──遺族の問題もありますか。

佐藤 ええ。例えば奥さんやお子さんは故人の遺志を十分に理解してくださって、大学へ電話をかけてきてくださる。それでいざ引き取りにうかがうという段になって、田舎から叔父さんなんかがでてきて「おまえたち、親を何だと思っているんだ」ということでせっかくのご遺志が無になるケースもあります。ですから、献体登録する時には、ご家族、ご兄弟はもちろんのこと、親戚の方の判も必ずもらっておいていただきたいですね。また欧米では、宗教に裏打ちされたボランティア精神というのがかなり強いですから、例えば橋の上で人が亡くなっていて、懐を探って見たら献体登録をしていたという場合、本人の意志を尊重することを考える。日本人は遺族のメンツを考える。こういう違いがあるようです。

──「献体」という言葉がもっと普及してくれば、考え方の上でも欧米との差が無くなってくるでしょうね。献体の登録者が多くなるということは、それだけ医学の発展にも寄与することになるわけですから、日本にもぜひ、欧米の考え方が広まることを期待したいですね。本日はありがとうございました。



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