こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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常に新しいものを受け入れ、変化できる脳。 未発見の秘められた能力とは?

脳の限界を探る!

東京大学薬学部教授

池谷 裕二 氏

いけがや ゆうじ

池谷 裕二

1970年静岡県生まれ、98年東京大学・大学院薬学系研究科にて薬学博士号取得。2002年〜05年アメリカ・コロンビア大学・客員研究員、06年〜11年科学技術振興財団さきがけ・研究員(併任)、07年8月東京大学薬学部准教授、14年4月同大学同学部教授に就任。主な著書に『海馬-脳は疲れない』(新潮社)、『脳には妙なクセがある』 (扶桑社)、『ココロの盲点 完全版』(講談社)、『大人のための図鑑【脳と心のしくみ】』(新星出版社)など多数。

2016年4月号掲載


脳の働きは単なる電気信号!? 心は物理的に説明できるか

──先生のご専門は薬学と伺っておりますが、脳研究でも大変ご著名でいらっしゃいますね。脳の機能の解明はここにきてかなり進んでいるようですが。

池谷 はい。計測技術の進歩と世界中の多くの研究者の実験などから、どういうときに脳のどの部位が反応し、それによってどんな感情が生まれたり、体のどんな行動に反映されるか、さまざまなことが判明しています。

──著書を拝読して、とても興味深く感じました。でも同時に大変なショックも受けたんです。なんでも、脳の働きはすべて電気や化学反応などの科学で説明付けられてしまうという印象を受けたのですが…。

池谷 ある意味ではそのとおりです。例えば、モノを見る場合、目に入った光のエネルギーが網膜の視細胞を刺激し、その刺激が電気信号に変換され、視神経を通じて大脳に情報が伝わります。大脳では画像の動きや色、形状といった情報が整理され、後頭葉の一次視覚野に送られ分析されることで、われわれは多様な視覚情報を得ることになります。こうした動きはすべて電気の動きや化学反応によるものです。
ただし、一方では物理や化学だけでは説明できない部分があるのも事実です。

──どういうことですか?

池谷 例えば、目の前に置いてあるペンを持ち上げようとする場合、脳は手(筋肉)に命令して、手が動き、ペンを持ち上げます。この部分の電気の動きには物理学的な矛盾はありません。でも、この理論で言えば、最初に「持ち上げよう」と思った気持ちが生まれるためにも電気などのエネルギーが必要なはず。でも実際はこの部分に電気は発生していません。

脳内の電気の動きを計測する機器

──そこに、科学では解明できない「心」というものがある?


池谷 正直、難しいところです。物理学で心の存在を認めてしまうと、結果的に心が脳を通じて筋肉や感覚を動かしていることになりますから…。ある意味で念力を認めるようなものです。

──なるほど。そういえば、17世紀にフランスの哲学者・デカルトが人間の心と体が別物だという二元論を唱えていますが…。。

池谷 ええ。そういう意味では現在でも、デカルトの時代からなんら状況は変わってないと言えます。心は宗教や哲学の領域で、科学では「存在しないもの」として扱わざるを得ないのです。

大脳の発達でヒトは高度化。哲学・宗教が生まれた

──とはいえ、われわれ人間はよく、生きる意味といった哲学的なことを考えるものです。これは脳の働きに思えますが、物理学的にいうと一体何なんでしょうか?

池谷 哲学・思想などの思考はヒトだけに見られるものです。そしてそれは大脳新皮質の働きによって生じていると考えられています。

──とおっしゃいますと?

池谷 そもそも脳というものは、動物が嗅覚や目視でエサを感知できれば近寄る、危険なものを見て恐怖を感じれば逃げるといったように、生きるため、環境に適応するためだけに存在していました。脳は体と密接な関係にあり、体から感覚を仕入れて、運動として体へ返し、そしてまた運動結果を体からの感覚として脳に戻す、というように、体との情報ループを形成しているのです。
その後、進化の過程で、その機能を補う大脳新皮質が発達しました。単純な反射行動だった機能を補完、高度化し、二手三手先まで読む、罠をかけて捕獲するなどという行動ができるようになったのも大脳新皮質の役割によるものです。ただ、大脳新皮質は後からできているため体との関係が少なく、発展していく内に、体を省略して、脳の中だけで情報のやりとりをするようになりました。こうした経緯の中で、哲学・宗教といった知的概念を作りだす機能が生まれてきたと考えられているのです。これには行動につながる物理学的な関係を説明付けることは難しいのですが…。

──生きる意味を考えたりする哲学は、そもそも生きるためには直接不要なものだった。でも今やそれが高度な知性をもった人間であることの証明ともなっている、というわけですね。
ところで、自分の中だけで情報のやりとりを始めた大脳新皮質は、もう体との情報ループはまったく必要ないのですか?

池谷 いえいえ、省略したといっても実際に体を動かしていないだけで、運動の元になる体からの感覚は大脳新皮質の働きの中にも見られます。

──例えばどんな感覚ですか?


池谷 暗算する際、実際に眼球を動かしてはいないのに、脳の中では目が左右に動いているのと同じ反応が見られることが知られています。計算を最初に覚える際は、指などを目で数えながら覚えるものですが、この名残だと考えられます。

──つまり目は使っていないのに、脳内では目で見ながら計算しているつもりということですね。

池谷 はい。また、「苦い思い出」といった表現を考えてみてください。思い出は苦い味がするわけでもないのに、われわれはその感覚を感じることができますよね? このとき、脳の中では実際に味覚の苦さに係る部位が反応しているんです。これは大脳新皮質が苦みを感じる体からの感覚を転用したことから起こる現象で、これも未だ体からの感覚が生きている例です。

脳は使い方次第でどんどん成長する

──ところで、脳は実はその大部分が使われていないなどと耳にすることがありますが…。

池谷 いえ、そんなことはありません。現在、ヒトは脳にある千数百億個もの神経細胞をほぼ使っていることが分かっています。しかし、残念ながら能力を出し切っていないのです。そのため、私は脳の限界がどこにあるのか知りたくて、約5年前に「脳創発プロジェクト」をスタートしました。脳の秘められた能力の開拓に加えて、最新の脳研究を次世代につなげていくことが大きな目標です。

──具体的にはどのような研究が進んでいるのですか?

無菌操作をするための装置クリーンベンチ

池谷 一つは渡り鳥や回遊魚などが持つ、地球の磁場である「地磁気」を感知する能力を引き出すプロジェクトです。地磁気のセンサーとなるチップを作成し、ネズミの頭部に移植する実験を行ったところ、このネズミは2日後には地磁気が感知できていると見られる動きをするようになったのです。これにより、脳は、本来体に備わっていない感覚に柔軟に適応できることが証明されました。


──つまり方位磁石を使わなくても、方角が分かるようになるわけですね。

池谷 はい。それだけではなく、このことから、センサーさえ搭載すれば、動物は超音波やラジオ波といった他のさまざまなものも感知できるようになるということになります。

──それはすごい。私たちは案外、自分で思っているよりも有能なんですね(笑)。

 
試薬調整をするための実験台

池谷 ええ(笑)。でも、これは実験で引き出している能力ですが、そうでなくても脳というのはもともと、常に新しいものを受け入れて成長するという性質があるんです。私たちは、可塑性(可鍛性)と呼んでおり、私の研究のメインテーマでもあります。

──可塑性…聞きなれない言葉ですが?

池谷 いくつになってもどういう風にも変化ができるということです。私はそんな脳の可塑性に大きな希望を感じているんです。

──なるほど。今回お話を伺って、脳の解明はだいぶ進んできているとはいえ、まだまだ未解明な部分も多く、その分、研究には大きな可能性があることが分かりました。生命、宇宙と並んで脳は人間の永遠のテーマだと言われています。今後のさらなる探求、研究成果を期待しております。
本日は、どうもありがとうございました。


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