こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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「奈良絵本・絵巻」を研究する中で、 日本初の女性絵本作家を発見しました。

埋もれていた日本古来の貴重な文化財

慶應義塾大学文学部教授

石川 透 氏

いしかわ とおる

石川 透

1959年栃木県生まれ。83年慶應義塾大学文学部卒業、85年同大学修士課程文学研究科修了、88年同大学大学院博士課程単位取得退学。93年日本古典文学会賞受賞、同大文学部助手、助教授を経て、2005年より現職。文学博士。「奈良絵本・絵巻」の作者や制作時期について調査する研究を行っている。主な著書に『慶應義塾図書館蔵 図解 御伽草子』(慶應義塾大学出版会)、『奈良絵本・絵巻の生成』(三弥井書店)、『奈良絵本・絵巻の展開』(三弥井書店)、『入門奈良絵本・絵巻』(思文閣出版)など。

2013年2月号掲載


奈良時代のものでもないのになぜ「奈良絵本」?


──先生は、「奈良絵本・絵巻」研究の第一人者だと伺いました。「奈良絵本」というものを、初めて聞く読者の方も多いかと思いますので、まず初めに「奈良絵本・絵巻」について、教えていただけますか?

石川 室町時代の終わりから江戸時代前期に京都で盛んに制作された、美しい色の付いた絵本・絵巻のことを、俗に「奈良絵本・絵巻」といいます。絵巻を折り曲げて冊子化したものや、縦型、横型の冊子本に挿絵を入れたものなど、いろいろな形式があり、サイズも手帳サイズからA4を超えるものまでさまざまで、一つ一つ全て手作りされています。

──どういう内容なのですか?

石川 浦島太郎や一寸法師などのおとぎ話から、平安時代の物語や鎌倉時代の軍記物語、歌集や日記・随筆など、当時の主な文学作品をあらかた網羅しています。

──ということは、かなりの数が作られたのですね?


石川 これまでは2000点くらいだと思われていましたが、近年、新たに見つかるケースが増えていて、今では5000点くらいはあるのではないかと考えられています。

──それにしても、奈良時代のものでもなく、奈良地方で作られたものでもないのに、なぜ「奈良絵本・絵巻」と呼ばれているのですか?

石川 実は「奈良絵本・絵巻」と呼ばれるようになったのは、明治時代になってからで、名前の由来については諸説があります。扇子や茶碗などに描かれた「奈良絵」と呼ばれる図柄が江戸時代後期にあり、それと似ている絵本ということで、呼ばれるようになったともいわれています。

──そうですか。ところで、「奈良絵本・絵巻」の魅力とは、何なのでしょうか?

 


 

 


石川 まずはこれをご覧ください(奈良絵本・絵巻を広げる)。

──これはすごい。色彩が鮮やかで美しいですね。人物の表情がいきいきとしていて、構図もすばらしい。

石川 はい。一つ一つ手書きで、緻密に描かれていて、人物の表情がとても愛らしい。どこか懐かしさも感じられて、見ているだけでワクワクしますよね。

蓬莱物語の奈良絵巻(写真上)。不老不死の薬を求めて、徐福が大海の中にある蓬莱山に赴く途中、龍が現れる場面(写真右)<資料提供:石川透氏>  
蓬莱物語の奈良絵巻(写真上)。不老不死の薬を求めて、徐福が大海の中にある蓬莱山に赴く途中、龍が現れる場面(写真右)<資料提供:石川透氏> 蓬莱物語の奈良絵巻(写真上)。不老不死の薬を求めて、徐福が大海の中にある蓬莱山に赴く途中、龍が現れる場面(写真右)<資料提供:石川透氏>

──確かに、不思議と魅了されます。美術的にも価値が高く、日本が生み出したすばらしい文化財だと思います。しかし、なぜあまり一般的には知られていないのでしょうか?

石川 現存する作品の数が少ないということがあると思います。版画印刷の浮世絵と違い、手書きのため、1冊作るのにも何枚も絵を描かなくてはならず、大変な作業なのです。
また、作品に署名をしない習慣があったので、いつ誰が作ったのかも不明なものがほとんど。美術館・博物館でも、最近では所蔵しているところが多数あることが分かってきたのですが、時代や制作者が分からないため、これまであまり展示されていませんでした。

──人目に触れる機会が少なかったとは、残念です。

石川 ええ。それに、せっかく展示されていても、解説文が間違っていることがよくあるんですよ。

──それはもったいない。拝見させていただいたところ、色がきれいで保存状態もいいものばかりなのに。

石川 そうなんです。
江戸時代前半は京都が文化の中心で、大名や豪商が娘の嫁入り道具として豪華な「奈良絵本・絵巻」を持たせていたんです。嫁入り先で、蔵などに大切に保管されてきたせいか、多くの作品が色鮮やかなまま現存しています。

──その後、京都から江戸へと文化の中心が移り、武士の力が弱まり、大名家が衰退していく中で、注文が減って、作品も徐々に作られなくなった…ということでしょうか。

 


 

 


石川 その通りです。
代わりに、浮世絵のような一枚ものの作品が大量に作られるようになりました。
裕福な層の間で広まった「奈良絵本・絵巻」に比べ、浮世絵は版画で何枚も刷れるため、庶民も容易に手に入れることができ、広く普及していったのです。

日本初の女性絵本作家「居初(いそめ)つな」を発見


──先生は「奈良絵本・絵巻」について、いくつか新しい発見をされたと伺っていますが?

石川 はい。これまでは、作者や制作時期が全く分からなかったのですが、研究により、何人かの作者を特定することに成功しました。

──例えば?

石川 一人は、江戸時代前期の仮名草子作家として有名な「浅井了意(りょうい)」です。怪談の作家として有名ですが、実は、奈良絵本の筆跡と、彼の筆跡が一致し、制作に携わっていたことが判明しました。どうやら、若いころに「奈良絵本・絵巻」の詞書きを書く仕事をしていて、その知識が身に付いて作家になったようです。

──そんな有名人も「奈良絵本・絵巻」を書いていたんですか。

石川 また、もう一人明らかになったのは、「居初(いそめ)つな」という女性作家です。寺子屋の教科書である往来物の制作者として、江戸時代前期から中期に活躍したのですが、その筆跡から、彼女が「奈良絵本・絵巻」も作っていたことが明らかになりました。しかも、当時は絵と文は分業で作られるのが一般的で、浅井了意も文章だけを書いて、絵は絵師が描いていたのですが、居初つなは絵も文章も両方描いていたところが注目されます。

──それは驚きです。しかもそれが女性だったとは大発見ですね。

石川 そうなんです。300年以上も前に、こうした仕事を女性が本格的にやっていたとは考えていませんでしたね。おそらく日本初の女性絵本作家といえるでしょう。

日本初の女性絵本作家「居初つな」が制作したとされる「奈良絵本・絵巻」(写真左上)。幅10cm程度の小さな絵巻で、紫式部などが描かれている(写真下)。絵本は、「鉢かづき」という物語。人物が愛らしい表情をしている(写真右上)<資料提供:石川透氏> 日本初の女性絵本作家「居初つな」が制作したとされる「奈良絵本・絵巻」(写真左上)。幅10cm程度の小さな絵巻で、紫式部などが描かれている(写真下)。絵本は、「鉢かづき」という物語。人物が愛らしい表情をしている(写真右上)<資料提供:石川透氏>
日本初の女性絵本作家「居初つな」が制作したとされる「奈良絵本・絵巻」(写真左上)。幅10cm程度の小さな絵巻で、紫式部などが描かれている(写真下)。絵本は、「鉢かづき」という物語。人物が愛らしい表情をしている(写真右上)<資料提供:石川透氏>
日本初の女性絵本作家「居初つな」が制作したとされる「奈良絵本・絵巻」(写真左上)。幅10cm程度の小さな絵巻で、紫式部などが描かれている(写真下)。絵本は、「鉢かづき」という物語。人物が愛らしい表情をしている(写真右上)<資料提供:石川透氏>

新たな作品発掘が制作実態の解明に


──ところで、先生はどういった方法で研究を進めておられるのですか?

石川 これまでは、筆跡などを頼りに、多数の作品を自分の目で見て、分類・選別していました。しかし、現在は、高性能なパソコンやデジカメの普及によって、多くの研究者の協力が得られるようになり、同じタイプの絵本や絵巻を一瞬にして閲覧でき、容易に分類できるようになりました。
また、最近では、美術館・博物館や大学の図書館がホームページ上に、所蔵する作品を画像付きで公開するようになり、より豊富な資料が得られるようになっています。

 


 

 


──これから作品がどんどん見つかれば、新たな発見にも期待ができそうです。

  横型タイプの奈良絵本2冊(写真左)。「磯崎」という物語で、本妻が嫉妬し、鬼の面を付けて新妻をおどしている場面(写真上)<資料提供:石川透氏>
横型タイプの奈良絵本2冊(写真左)。「磯崎」という物語で、本妻が嫉妬し、鬼の面を付けて新妻をおどしている場面(写真上)<資料提供:石川透氏> 横型タイプの奈良絵本2冊(写真左)。「磯崎」という物語で、本妻が嫉妬し、鬼の面を付けて新妻をおどしている場面(写真上)<資料提供:石川透氏>

石川 はい。私が研究を本格的に始めたのは1998年からで、10年も調査すれば、すべて出尽くしてしまうだろうと思っていましたが、全然終わりません(笑)。
「奈良絵本・絵巻」は、美術品としても評価が高く、多くの作品が海外に流出しています。そのため、海外の図書館や博物館・美術館にも赴き、作品のデジタル化を進めています。また、国内でも個人で所蔵する作品の鑑定を依頼されることも多く、地方の古書市や骨董市、骨董屋や古本屋めぐりで見つかることもあるんですよ。

──「奈良絵本・絵巻」のすばらしさをもっと世の中にアピールすることで、作品のさらなる発見や、その価値の見直しにつながっていくといいですね。

石川 はい。今後は一般の方々にも存在を広めるために、展覧会などを通じて、魅力を伝えていきたいと考えています。

──非常に興味深い研究です。すばらしい日本文化を維持継承するためにも、これからもがんばってください。
本日はありがとうございました。


近著紹介
『入門奈良絵本・絵巻』(思文閣出版)

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