こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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五七五って、意外に簡単なんですよ。 言葉の取合せで、すごい名句もつくれるんです。

俳句の新しい流れ−五七五は意外に簡単

京都教育大学教育学部教授 俳人

坪内 稔典 氏

つぼうち としのり

坪内 稔典

1944年愛媛県生れ。立命館大学文学部日本文学科卒業。同大大学院文学研究科修士過程修了。大学在学中から全国学生俳句連盟に加盟、流行語などを取り入れた新しいタイプの俳句を確立。“ニューウェーブ俳句”“広告コピー風”等と言われ注目を集める。本文中にもある「三月の甘納豆のうふふふふ」、「河馬を呼ぶ十一月の甘納豆」(坪内氏は河馬に親しみを持つのと同時に著書にも「河馬を通して感じたり見たりすることが、いわば私の場合の本意をずらす工夫の一つ・・・」(俳句のユーモア)と書いている)は有名。
「日時計」「黄金海岸」等の同人誌を経て、76年から「現代俳句」を責任編集。86年より俳句グループ「船団の会」代表となり、会員誌「船団」を編集発行。大阪俳句史研究会の創設にも参画。句集に「坪内稔典句集」(92年、ふらんす堂)、「百年の家」(93年、沖績舎)、「人麻呂の手紙」(94年、ふらんす堂)、評論集に「俳句一口踊と片言」(90年、五柳書院)、「俳句のユーモア」(94年、講談社)、「新芭蕉伝 百代の過客」(95年、本阿弥書店)等がある。
86年、尼崎市民芸術奨励賞受賞。日本近代文学会会員、俳文学会会員、日本文芸家協会会員。専攻は近代日本文学、俳句俳諧。研究テーマは正岡子規、夏目漱石。

1996年9月号掲載


女性を中心に、今、俳句がブーム

──近年、俳句が大変なブームになっているそうですね。各地にいろんな俳句の会ができていると聞きます。この人気の背景には何があるんでしょうか。

坪内 俳句がブームになったそもそもの大きな理由の一つは、女性です。女性が俳句をつくり始めたことで、俳句人口そのものも急増しましたし、俳句の世界がかなり変わりました。

──そう言われてみれば、時々雑誌などで、女性の俳句グループの記事を目にすることがあります。

逆に考えると、以前は俳句をやる女性はあまりいなかったということなんでしょうか。

坪内 ええ。ご存じのように俳句は、和歌などに比べ形や内容がくだけていますし、もともとは男たちが酒を飲みながらつくって楽しむというような、ちょっと品の落ちる文芸だったんです。だから和歌をやる女性はいても、俳句に興味を持つ人は少なく、昭和30年代までは、俳句の会に女性はほとんどいませんでした。

──いつ頃から女性も俳句を・・・?

坪内 昭和40年代、いわゆるカルチャーブームというのが起こりまして、主婦層を中心に俳句が広がったのが発端だと思います。

ちょうど時代は、高度経済成長によって日本人の生活にある程度ゆとりができてきた頃でしたから、主婦が男たちの遊びに興味を覚え、俳句ならすぐにもやれそうだ、それやってみたら結構面白いじゃないかということで、急速に広がっていったということではないかと・・・。そういう意味では、時代の変化ということが、そもそものベースにあるんでしょうね。

──今、ゴルフをやる女性が増えているのと状況がよく似ていますね。

坪内 まったく同じです。しかも俳句の場合、現在では、全体の約8割が女性の時代になっています。

──女性の方が多いんですか。大逆転ですね。

坪内 ですから、女性は子どもの手が離れた四十歳代くらいからカルチャースクールに行って俳句の勉強を始める。20年くらい経つと、定年になった旦那が何もすることがなくて、奥さんについてくるという例が最近は多いんですよ(笑)

──数十年でずいぶん変わりましたね。


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