こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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「ラ抜き言葉」の誕生には、1,000年の歴史があった。 若者言葉は、単なる「乱れ」ではないのです。

若者言葉を”科学”する

東京外国語大学外国語学部教授

井上 史雄 氏

いのうえ ふみお

井上 史雄

いのうえ ふみお 1942年、山形県鶴岡市生れ。71年、東京大学大学院言語学博士課程修了。北海道大学文学部助教授を経て、86年より現職。専門は、社会言語学、方言学。著書に『方言学の新地平』(94年、明治書院)、『日本語ウォッチング』(98年、岩波新書)、『敬語はこわくない』(99年、講談社現代新書)、『日本語の値段』(2000年、大修館書店)、『日本語は生き残れるか』(01年、PHP新書)、共著に『辞典〈新しい日本語〉』(02年、東洋書林)など多数。

2002年10月号掲載


「ラ抜き言葉」を使って、誤解を解消?!

──先生のご著書「日本語ウォッチング」は、最近流行の「ラ抜き言葉」や「語尾上げ言葉」などについて全国的な調査を元に解説されており、とても分りやすい内容でした。とかく「言葉の乱れ」とされがちな若者言葉にも、実は変化の法則や伝播のパターンがあったとは意外です。

本日は、日本語の変化の面白さについていろいろと伺いたいと思うのですが、まずは、何かと問題になる「ラ抜き言葉」からお伺いします。「ラ抜き」は、つい最近の言葉だと思っていましたが、実は相当歴史があるようですね。

井上 ええ。100年近く前から、方言として存在していました。例えば1878年生れの文法学者が、出身地静岡の方言で「逃ゲレル、受ケレル、といふなり」と明治時代に書いています。過去の文献や実態調査を元に考えると、どうやら「ラ抜き」は中部地方や中国地方で生れ、その後じわじわと全国に広がったようです。

最近になって「ラ抜き」を非難する声が増えたのは、以前に比べて使われる言葉が増えたことや、広告などで大胆に使われるようになってきたために、急に目立って感じられるようになったからでしょう。

──しかし、例えばウン十年前に流行った「ガチョーン」や、数年前の「チョベリバ」なんかはすぐに消えてしまいましたが、どうして「ラ抜き」はこれほど広がったのですか?

井上 それには2つの理由があります。

まず1つは、意味の「明晰(せき)化」です。「可能」の言い方と「尊敬」の言い方が区別できるということです。

例えばこんなエピソードがあるんですが、ある会社の部長が部下を乗せて車を運転していたところ、駐車場を見付けた部下が「部長、あそこに止められますか?」といいました。すると部長は「私の運転技術を疑うのか!」と怒ってしまった。部下にしてみれば「お止めになりますか?」という尊敬の意味でいったのに、部長には「止めることができるか?」に聞こえてしまったんです。

──「ラ抜き」を使えば、可能の場合は「止めれますか」、尊敬の場合は「止められますか」と区別することができるということですね。

井上 そういうことです。誤解を生まないためには、「ラ抜き」を使った方がむしろいいんです。中国地方など「ラ抜き」を先に採用した地域が、尊敬表現に「レル・ラレル」をよく使う地域だということも、この「明晰化」という理由を裏付けているといえます。

──では、もう1つの理由とは?

井上 動詞の活用の「単純化」です。これは、ほぼすべての日本語の動詞において、可能の言い方が同じになるということです。

ご承知のように、日本語の動詞の可能形にはいくつかの活用パターンがあります。例えば、「読む」は「読める」、「見る」は「見られる」です。

実は、もともと「読む」の可能形は「読まれる」でしたが、平安時代から続く動詞の簡略化の流れを受けて、室町時代に「読める」になったのです。そして、この表現が徐々に他の動詞にも広まって、「見られる」→「見れる」といった「ラ抜き」の登場となりました。

ところが、同じ変化をしたにもかかわらず、現在「読める」はOKで「見れる」はダメ、とされています。しかし、「見られる」の代りに「見れる」を使った方が、「読める」と可能の形式がそろうことになるので、活用が単純になります(「○+eru」の形になる。図1参照)。これは、「来る」と「する」以外のすべての動詞に当てはまるので、日本語を学ぶ外国人にとっても分りやすいでしょう。

図1
「見る」の可能形を「見れる」にすれば、「読める」と同じ形(「O+eru」)になるので分りやすい。「来る」「する」以外のすべての動詞の可能形は、終止形「-u」の代りに「-eru」を付ける、と覚えれば良い。「ar」を抜き取ることになるので、「ラ抜き」ではなく「ar抜き」といった方が適切といえる

──確かに、日本語がずっと簡単になりますね。

それにしても、「ラ抜き」が1000年におよぶ日本語動詞の簡略化の一部だとすると、何も目くじらを立てる必要はないわけですね。

井上 確かにそうですが、だからといって「ラ抜き」をすぐに全員が使うべきだということではありません。「ラ抜き」が非難されているという事実もあるのですから、服装と同じように、場面によって使い分けるのが良いでしょう。

──ところで、先ほど「ラ抜き」が中部地方や中国地方で生れ、全国に広まったとおっしゃいましたが、どうもピンときません。新しい言葉が都会から地方に広がるならともかく、地方の言葉が都会に入り込んだとは…。

井上 ある言葉が地方から都会に入り、全国に向けて再発信されるというのは、言葉の伝播における一つのパターンなんです。

例えば、「浜言葉」といわれている「じゃん」も、元々は東海地方の方言で、東海道をさかのぼるようにして関東に入り、全国に再発信されました。東京に入ってきてからはまだ20−30年しか経っていませんが、語源までたどれば、実は1000年近く変化を続けている言葉なんですよ。


語尾上げ、半疑問、平板化。気になる口調にも意味がある。

──若い人の間では、「ラ抜き」や「じゃん」という新しい言葉の活用とは別に、イントネーションやアクセントも変化してきているように思います。

井上 イントネーションの変化には、「それでぇ、あたしがぁ」という「語尾上げ」や、単語を半疑問にするという変化があります。これは、会話をする時の日本人の姿勢が変ってきたからだと思います。かつて、日本人は相手と距離を置いて、相手に立ち入らないように話すのが礼儀でしたが、イントネーションによって相手に積極的に働き掛ける話し方を開発し始めたようです。語尾上げにしても半疑問にしても、「自分の話がまだ続きますよ」ということを示し、相手の関心を引くのに効果的な話し方ですから。

──確かに「昨日ゆりかもめ? に乗ったらね、東京タワー? がすごくきれいでね」といわれたら、思わず「?」のところでうなずいてしまいますね。

井上 使う人に聞いてみると、相手に通じているか不安な時に「確認? みたいなぁ」感じで使うそうですよ(笑)。「知ってる?」「分る?」とはっきり言葉に出すより婉曲な感じがしますし、時間も節約できるというのが、普及の理由だと思います。

──他にも、例えば若い女性が「彼氏」を「カレシ」と平坦にいったりするように、アクセントを付けない話し方というのも気になります。

井上 平板化アクセントですね。私はこれを「専門家アクセント」と名付けました。

──どうしてですか?

井上 例えば音楽に詳しい人は「ター」を「ギター」といい、水泳選手は「ドレー」を「メドレー」というなど、その道の専門家が平板化アクセントを使うことが多かったからです。

──なるほど。では、これにはどういう理由があるのですか?

井上 ある分野の人は、他の人に比べてその専門分野の外来語を頻繁に使います。平板化された外来語は、その人(集団)にとって親しい、当り前の単語だという意味を持つため、平板化された外来語が頻繁に使われるようになるのです。

実は、平板化は外来語に限らず、和語や漢語でも使われてきました。「電話」も、元々は頭にアクセントを置いていましたが、日常的に使われるようになると、今のように「デンワ」と平板になった。同じことが外来語で起こっているのです。

──昔は「ンワ」といっていたのですか? 今聞くと変な感じですね…。あ、でも、「電車」は今でも「デンシャ」「ンシャ」と、アクセントが分れていますね。これはちょうど過渡期にあるということですか?

井上 そうでしょうね。ただ、平板化の根本的な理由は発音の省エネだと思います。アクセントを付けるよりも発音が楽ですし、新しい言葉の場合、アクセントをいちいち覚えなくてもいいという利点があります。

──「ラ抜き」の場合の「明晰化」「単純化」と同じような合理化のメカニズムが、アクセントにも働いているというわけですね。

今年8月、フィンランドの地方都市で開催された方言学の国際会議。地元新聞には、会議終了後のワイン祭りでおいしそうにワインを飲む井上先生の写真が掲載された。今回の会議のテーマは、「国境と方言」(提供:井上史雄氏)


言葉は変化し続ける。まさに"生き物"

──ところで先生は、「じゃん」や「ラ抜き」、語尾上げ言葉なども含め、「若い人が標準語にない言い方をくだけた場面で使う言葉」を「新方言」と呼んでいらっしゃいます。この度、それらを集めた「辞典〈新しい日本語〉」を出されたそうですね。

井上 ええ。「ヤッパ」「チョー」「ウザッタイ」「チガカッタ」(違っていた)など2300語を集めました。いつどこで使われ始めたか、使用実例や地図等を交えて紹介しています。

「じゃん」の普及状況(1983年)井上先生調査による「じゃん」の普及状況を示した地図。全国の中学校を対象に、地元出身の保護者とその子どもである中学生に「じゃん」の使用状況を聞き、「言う(言った)」「聞く(聞いた)」「聞かない」の3段階で回答してもらった。「言う(言った)」と答えた人は、東海・中部地方に多いことが分る(「辞典<新しい日本>)」掲載図を元に作成)

──それだけの単語を集めるにはさぞかし大変だったと思いますが、どうやって調べられたのですか?

井上 以前は方言に関する調査報告や論文、新聞、雑誌などを読みあさっていましたが、今は主にインターネットで検索して、新方言を探しています。インターネットは瞬時に新しい言葉が反映されますから、言葉が常に変化しているということを実感できます。

あとは、全国の学校に協力していただいて生徒や保護者にアンケート調査をしたり、実際に各地に出掛けて行ってアンケートをとったりしています。ちょうど今、「じゃん」の普及状況を調べるために、ゼミの学生たちが東北地方の主要駅で調査しているところです。

しかし、言葉は刻々と変化していますからね。本にまとめても、一生改訂し続けなくてはいけません。実は、大変な研究をしてしまったんだなあと、われながら思っているんです(笑)。

──言葉が生き物だということは、先生のお話を伺ってよく分りました。地球上の生き物が一つの単細胞から進化したように、言葉も変化を繰り返しながら、現在のような数千種類にまで分れていったのだと…。

井上 ええ。しかし、現代は逆に言語の数がどんどん減ってきています。今はインターネットの発達やグローバル化によって、時間や距離に関係なく情報が世界中に行き渡る時代──いってみれば統合の時代です。その流れで、方言が公用語に吸収されたりして、姿を消しつつあります。日本語も、しばらくは今のまま変化を続けると思いますが、ひょっとすると最終的には英語だけになってしまう可能性もあります。

──え?! 本当ですか?

井上 経済的価値を考えると、やっぱり英語が一番強いですからね。まあ、そうなるとしても数百年はかかるでしょうから、予測が外れても怒られる心配はないわけで…(笑)。

──確かにそうですね(笑)。

実をいうと、これまで国語はそれほど好きではありませんでしたが、今回言葉の変化の裏に法則や意味があることが分って、言葉の面白さ、奥深さを知ることができました。

本日は、大変勉強になるお話を、ありがとうございました。


近著紹介
『辞典〈新しい日本語〉』(東洋書林)

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