こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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モンゴル帝国は、民族や人種、言語、宗教などを超越した 国家だったのです。

モンゴル帝国の盛衰−世界を変えた遊牧民

歴史学者 京都大学大学院研究科教授

杉山 正明 氏

すぎやま まさあき

杉山 正明

1952年静岡県生れ。74年京都大学文学部史学科卒業。79年同大学大学院文学研究科東洋史学専攻博士課程修了後、京都女子大学文学部東洋史学科専任講師、助教授、92年京都大学文学部史学科助教授を経て、95年現職に。92年に放送されたNHKの番組『大モンゴル』の監修を行う。著書に、『大モンゴルの世界』(92年、角川書店)、『クビライの挑戦』(95年、朝日新聞社)、『モンゴル帝国の興亡(上・下)』(96年、講談社)、『耶律楚材とその時代』(96年、白帝社)、『遊牧民から見た世界史』(97年、日本経済新聞社)など。

1998年9月号掲載


歴史的に重要な存在だった遊牧民

──先生はモンゴル時代史を研究されていますが、著書「遊牧民から見た世界史」を読みまして、目から鱗が落ちたといいますか、驚きました。

というのは、私たちが中学や高校で習った世界史は、エジプトをはじめインダス、メソポタミア、黄河などの文明が、広大なユーラシア大陸の大河の河口に点在し、それが段々にじむように広がっていって、世界の文明がつくられ今日に至ったということだったんです。しかし先生は、そうではなく、ちょうどその時代の地図で国の名前が記されていない空白の部分、ユーラシアの真ん中が、歴史を動かした原動力だった。また、その人たちがある意味、主役だったと。

杉山 もちろん、エジプトなど一般的に教科書で教わるそれら文明は、事実すばらしいものを生み出しました。しかし、それら「文明圏」の人達にとってユーラシアの真ん中にいた人々こそが、実は大変重要な存在だったのです。

彼らは遊牧民といって、あの広大な大地を移動しながら生活していました。そして彼らのおかげで、点在していた文明圏は各々孤立することをまぬがれ、広がりを可能にしたといえます。彼らがいたからこそ、文明が世界に広がっていった。どの時代でも遊牧民は、歴史に大きく関わっていたんです。後に、驚異的な勢力拡大を見せ、ユーラシア一帯を手中に収めもしました。世界史の教科書に登場するチンギス・カンは、それをやってのけ、巨大な「モンゴル帝国」をつくったのです。

──しかし、それほどまでの歴史を持っている彼らについて、なぜそれまで世界史上では空白だったのでしょう。

杉山 一般的に教え込まれている歴史像は、ヨーロッパ人が19世紀末から20世紀の初めにつくったものなんです。彼らは、「ヨーロッパ以外は文明じゃない」と思っていましたから、自分たち中心の「歴史」をつくり出してしまったんです。

──モンゴルの歴史には野蛮、残酷といったような負のイメージがありますが、これも彼らが植え付けたのでしょうか。

杉山 それもあります。しかし、実際の被征服民よりも、その子孫とされる後世の人達によって、つくり上げられてしまったと思われます。彼らは「近代文明社会」の優位を無条件に信じたいあまり、無意識にモンゴルの過去を見下してしまったんでしょう。やっと最近、モンゴルとその時代について、東西一通りの文献が眺められるようになりました。


遊牧民は「仲間」という意識を持った集団

──しかし、当時の地図で空白だったところの人達、いわゆる遊牧民が天下を取れたのはなぜでしょう。

杉山 一番の理由は、なんといってもモンゴル帝国が、すばらしい戦闘力・機動力を備えていたことです。

当時の戦力といえば、馬と弓が必需品でした。遊牧民の彼らは馬に乗り慣れており、騎乗しながら弓矢も使える最強で最大の軍隊でした。そして、異様ともいえるほど統制されていたんです。

──あれだけ広い地域ですから、顔や言葉、生活だってまちまちのはずです。そう考えると、すごいことをチンギス・カンはやってのけたんですね。

杉山 本当にそうです。

チンギスがあの広大な土地を統合する前は、大小いくつもの集団が入り乱れ、割拠していました。モンゴル帝国形成の中核となった「モンゴル」も、そのうちの一つに過ぎず、あまり強い集団ではありませんでした。しかし、チンギスという人が出現したことで、一つにまとめ上げることができたんです。モンゴル帝国には、いろんな集団が集まっており、まさに「連合体」という感じでしたが、現代のように民族や人種、言語、宗教にとらわれず、「仲間」という意識で集団を形成できる人達だったからできたことだと思います。

──モンゴルというところは、砂漠あり、荒野ありの非常に厳しい大地だと思います。そういう中で培われた忍耐力といいますか、精神的な強さを持っていたからというのもあったのではないでしょうか。

杉山 それもあると思いますね。モンゴルや中央アジアでは、冬は非常に寒いし、草が生えているといってもポツポツ程度のところも少なくない。近くで見ると地肌だけが目に入ってきます。そこで暮らすというのは、本当に大変なことですよ。


モンゴル帝国では、すでに紙幣が使用されていた

──日本とモンゴルの最初の出会いは、鎌倉時代の「元寇」ですね。あの時、日本は天候などが味方について、運良く逃れることができましたが、本当は強大な軍事力を持っていたんですね。

杉山 軍事だけでなく、すでに日本とは比べものにならないくらい経済活動が進んでいたすごい国だったんです。特にチンギスの孫、クビライの統治以降、経済を重視した政策がとられました。

当初は、ムスリム、ウイグルという2つの国際商業組織が、モンゴル帝国に資金や物資の調達をしていたんですが、商業や貿易が活発化するにつれ、仲間、組合という意味の「オルトク」と呼ばれる企業・会社組織の形に発展していったんです。

──今でいうところの企業グループのようなものですか。

杉山 そうです。

また、帝国の財政運営は、専売と通商の商業利潤でほとんどまかなわれる重商主義でした。

専売とは、その頃非常に貴重だったため、専売品とされていた塩の引換券「塩引(えんいん)」を発行し、通貨である銀と交換して収入を得るというものです。これは塩そのものを転売するのではなく、塩とリンクさせたいわば有価証券のようなもので、紙幣としても使用されていたんです。

──この頃すでに紙のお金があったんですか。それはすごいですね。

杉山 この頃の通貨は銀でしたが、帝国の拡大に応じきれるほどの銀が産出できなかったため、それを補う意味もあったんです。

そして、もう一つの収入源の方は、商取引から徴収する「商税」です。クビライは、都市、港湾、関門などを通る人々から徴収していた通過税を撤廃し、最終売却地で売却代金の約3%を商税として、1回だけ払えば良いことにしたんです。これにより、遠距離貿易の活発化につながり、流通量が増え、結果的には商税収入も増大しました。その上、民衆の税金負担額も低く抑えることができたわけです。これは、いわゆる間接税ですが、消費者が直接納税しない点で、内税方式の消費税ともいえます。歴史的に見てもかなり先進的な政策です。


今も昔も軍事力が大国を支える

──モンゴル帝国を支えたのは、まさにその経済力だったんですね。

杉山 結果的には経済ですが、実は軍事力があったからこそなんです。

モンゴル帝国は、本当にとてつもない広さで、それだけの富を持っていた国ですから、手に入れたいと思っていた国がいても不思議ではありません。弱ければあっという間に、他の国に吸収されてしまったでしょうし、あるいは内側から、どこかの集団が独立しようとしたかもしれません。強大な軍事力があったからこそ、刃向かう者もなく、分裂もせず、長期にわたり安定的に続くことができました。そのおかげで、通商の安全も保障され、経済も発展し得たのです。

──しかし、それだけの強い軍事力を持ったモンゴル帝国が、滅亡したのはなぜですか。

杉山 一番の理由は、クビライの死後、巨大な帝国を治めるだけの器を持った人がいなかったからです。これにより中央政局内で暗殺が起き、内戦が勃発し、軍事力が弱まりました。ちょうど同時期に、黄河の大氾濫のため近くにあった塩の大生産地を失いました。そしてこの氾濫を防ぐために召集した農民たちが反抗し、反乱軍となってしまったのです。もはや帝国には、それを抑えるだけの軍事力もなく、耐えきれなくなった帝国は、1388年にとうとう滅亡してしまいました。

──ところで現代は、世界経済にかなりの影響力を持つアメリカが、「帝国」的な存在になっています。世界を制すのは経済のように思いますが…。

杉山 いいえ、やっぱり今も変わらず軍事力ありきです。誰が見てもアメリカの軍事力は、世界最強です。彼らは、その軍事力をちらつかせ、他国に物言わせないところがありますからね。

また、モンゴル帝国は陸、海を制しましたが、アメリカは空をも制しています。さらに、文化のような見えないところまで支配していることを考えると、もはや「モンゴル帝国が人類史上最大の世界帝国だ」、とはいえなくなってしまいました。

ただ、モンゴル帝国の良いところは、人種的な問題を抱えているアメリカとは違い、民族とか人種、言語、宗教などを超越していた国家ということですね。

──今、世界を見回すと、そうしたものに振り回され、憎み合い、戦うことを余儀なくされている人々がたくさんいます。特定の理念とかイデオロギーを押しつけないモンゴル帝国は、人間社会としては、ある意味、進んでいたといえるかもしれません。私たち現代人にも、たくさん見習うべき点がありますね。

本日はありがとうございました。



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