こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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インカの素晴らしい文明発達の核となったもの それが「神殿更新」と考えられます。

プレ・インカの謎に迫る

文化人類学者・インカ文明研究者 東京大学教養学部文化人類学研究室教授

大貫 良夫 氏

おおぬき よしお

大貫 良夫

1937年東京生れ。60年、東京大学教養学部教養学科卒業。文化人類学、アンデス先史学専攻。60年以来、コトシュ、ラ・バンバ、ワカロマ等のアンデスの遺跡発掘に取り組んでいる。88年からペルー北部の山村クントゥル・ワシで、紀元前800年ごろのプレ・インカ文明の遺跡発掘作業を指導、89年には黄金の冠や彩色土器等を含む一連の墓を発掘した。今や世界屈指のインカ文明研究者。ペルー政府の許可を得て、カハマルカに、今年5月から出土品を展示できるムセオ(博物館)の建設に着工、この10月に完成した。主な編著書に「民族交錯のアメリカ大陸」(84年、山川出版社)、「マヤとインカ」(87年、講談社)、「インカ帝国−太陽と黄金の民族」(監修、91年、創元社)、「黄金郷伝説」(92年、講談社現代新書)等がある。

1994年12月号掲載


砂漠と山とジャングルがアンデスの魅力

──先生は、もう30年以上も南米ペルーのアンデスでインカ帝国の遺跡発掘調査を続けられておられますが、先生にとっての、この研究の魅力は何ですか。

大貫 たくさんあります。まず言えるのは、アンデス地方の自然環境の凄さですね。太平洋沿岸部には雨の降らない砂漠地帯がずーっと広がっていますが、ちょっと内陸に入っただけで、一気に海抜3,000、4,000あるいは高いところで6,000mという高さになるんです。海岸から車で3−4時間走れば、そういう高地に行ってしまうのですから、その変化の激しさがお分かりでしょう。通いなれた私でも、時々高山病で参ってしまうことがあるほどです。そしてその奥には、広大なアマゾンの熱帯ジャングル地帯があるわけです。砂漠と、山と、ジャングルの生活。よくこんな悪い環境に住みついて、こういう大文明を築いたものだと思います。もうちょっと行けば、もっといい土地があったじゃないかと・・・(笑)。

でも、私はあの自然がいいんです。その中を歩く、その中で生活する、それが魅力の一つです。

──逆に、そういう厳しい環境が文明を作り出したとも言えますね。

大貫 もう一つの魅力は、アンデスの文明は手作り文明と言ってもいいくらい、ほとんど人間の力だけで築き上げたものだということです。機械はもちろん、牛とか馬とかいった大きな力を持つ家畜も使っていない。あえて言えば、ラクダ科のリャマという動物にわずかな荷物を担がせた程度です。

──一切合財を人間の力でやっていたというわけですね。

大貫 そういうことです。それから、鉄というものがないんです。硬いものと言えば石で、石で石を切ったり、加工していたわけです。

──そして、それを運んだり積み上げるのも人間の力だけだったんですね。

大貫 そういうことです。しかも、例えばその石の加工ですが、一つの石が3mとか4mの幅、高さです。それを、建物を建てる場合なんかは、300mも並べたりするわけです。さらにその上にも似たような石を積み上げて壁を造っていくんですが、石と石の間のすき間というものがほとんどない。それぞれの石がいろんな形をしていて、すごいものになると12面もあるんですが、隣接している12の石とそれぞれピタッとすき間なくくっついているんです。まさに「剃刀の歯1枚入らない」状態です。

──すごい正確さですね。それを人間の手で削っていたんですね。

大貫 それはある意味ですごく進んだ技術と言えるのではないかと思うんです。何の資源もエネルギーも使わず、人間の食料さえあれば、裸一貫、体一つでそれだけ正確な仕事ができてしまう。産業廃棄物も大気汚染も酸性雨もない。あるのは人間から出る排泄物だけということになれば、どっちがいい技術かということになるじゃないですか(笑)。

──確かに今のハイテクはすごいけれども、一方で膨大な資源を浪費し、地球の環境を損ねる廃棄物を撒き散らしていますからね。そういう意味では、インカの人達というのは、すばらしい能力を持っていたんですね。

大貫 そうですね。さらに彼らの作ったものを見ていると、そういう正確性なんかとは別に、ある種の不思議な感性を感じるんです。彼ら独特のものです。ちょっとした道具や壷なんかにしても、われわれとはまったく違った独創性のようなものがある。そういうところも大きな魅力ですね。


神殿がしょっちゅう造り替えられていた

──先生の現在のメインテーマは何でしょうか。

大貫 アンデスの文明の始まりの時期、それに文明を発展させていく動力になったものは何か、ということを調査しています。

──何か分かってきていることは?

大貫 今まで14か所くらい遺跡を掘ってきているんですが、どこへ行っても神殿の跡みたいなものが次から次へと出てくるんです。場所によって形なんかはずいぶん違いますが、おもしろいのはそういった神殿がどうもしょっちゅう造り替えられていたのではないかということです。おそらく100年とか200年、300年の間に数回は造り替えられているんです。

──同じ場所にですか?

大貫 そうです。「神殿更新」と言っているんですが、古い神殿を壊してその上に新しい神殿を建設している場合もありますし、古いものより一回り大きいものを造っている場合もあります。

実は、この神殿更新という作業は、非常に社会的、経済的、技術的に大きな刺激になっていたのではないかと思われます。つまり、一つの神殿を造ってそのままにしておけば、社会生活はある意味では変化のない、マンネリズム的なものになってしまって、それでおしまいということになる。しかし、例えば一つの神殿の上にもう一回り大きいのを造らなくてはならないとなると・・・。

──技術が進歩していくわけですね。

大貫 そうなんです。もっと言えば、労働力も必要ですから、人間を増やさなくてはいけない。人間が増えれば食料も増産しなくてはいけない。そうなると、同じ作物でももっといい品種はないか、もっといい耕作技術はないか、という具合に農業も進歩してくる。

──よく、生物については「進化圧」といわれますが、こういうのは社会的な「進歩圧」というものでしょうか。

大貫 そうかもしれませんね。アンデスの場合、この神殿更新が習慣化することですべてが動いていたような感じもするんです。

さらに、こうした作業が大規模化していくと、作業を分業化したり順序立ててやっていくオーガナイザーも必要になってくる。そして、作業の複雑化に伴って、オーガナイザーの頭もだんだん進歩するんです。

──指導者とか権力者も出てくる。

大貫 また、神殿が大きくなれば、それに合わせた儀式を神官が考える。前は3人上がれば一杯だった祭壇が、大きくなって10人上がれるようになると、10人の儀式を考えるようになる、また、何で10人なのかという理屈も考えなくてはならなくなる。そういうふうにして宗教思想とか、宗教体系みたいなものが複雑化していったとも考えられるわけです。

そのうち、神様の像を壁に描くとか、石に彫るというようなことを考え出す。技術が発達し、デザイナーみたいなのが出てきて、特殊な才能を発揮するようになる。

──なるほど。神殿更新を核にして、そういうふうに文明が発達していったんですね。


金冠をかぶった人の墓が神殿の下に!

──しかし、もともとこの神殿更新という大作業は何のために行われていたんでしょうか。

大貫 明確には分かっていませんが、われわれが1989年にペルー北部山地のクントゥル・ワシというところで発掘した一つの神殿は、その謎を解く大きなヒントになったのではないかと考えられます。

──金冠や飾りが出てきたという、あれですか。

大貫 ええ。神殿の床下からお墓が出てきたんです。それまでは中を掘ると別の神殿が出てくるということはあったけれども、お墓が出てくることはなかった。初めてのケースでした。

最初に発見したのは3基並んだ状態でしたが、一体一体が石積みされた墓の中に別々に埋葬されていまして、しかもそこには金の冠とか、耳飾り、鼻飾り、胸飾り等々が一緒に埋められていたんです。

そういうふうに死者と副葬品を埋めてから神殿を造るということは、一体この人物とこの神殿の関係は何なんだろうということになりますね。

よほど偉い人か、神様の子孫と考えられていた人ではないか。そしてそのまた子孫の人が実際に指揮を取って、大事な祖先の遺体を神殿の本尊みたいな形で埋め込んだのではないか。

少なくともひとつには、そういう意味を持つ神殿更新も存在したと言えるのではないか、と考えられるわけです。

──しかし、これは想像の世界だけでは追いつかないですね。もっと調査していかないと分からない。息の長い仕事ですね。


地元還元のために博物館を建設

──ところで、先生はそうやって発掘したものを保管・展示するために、今度地元にムセオ(博物館)を建設されたとか・・・。

大貫 ええ。これまでは発掘されたものは国の文化財として国が保管していたんです。地元の人にしてみれば、自分たちに遺跡保護だけ押しつけて、出てきたいい物はみな国が持っていってしまうということで不満があった。そこで、何か地元還元のお役に立てないか、博物館を作れば国も認めてくれるだろうということで、お金は私がなんとかする、まかせとけ、って言ってしまったわけです(笑)。

多くの日本人のご協力を得まして、おかげ様で今年5月に着工でき、あれよあれよという間にでき上がりました。村の人たちはびっくりしています。「あの話は本当だったんだ」・・・(笑)。

──先生のおかげで、日本人の信用度がまた上がりましたね。

大貫 ええ、それはもう完全、日本人は100%の信用です。

──日本からの見学者は歓迎してもらえそうですね。これからもインカの謎の解明に向けて、先生のますますのご活躍を期待しています。今日はいいお話をありがとうございました。



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