こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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広大な経済・交流圏を持つ民族。 「夷酋列像」から、知られざるアイヌ文化が見えてくる

アイヌ肖像画の謎を解く

国立民族学博物館名誉教授

大塚 和義 氏

おおつか かずよし

大塚 和義

1968年立教大学大学院修士課程修了。文学修士。76年国立民族学博物館助教授、92年同館教授、2005年同博物館名誉教授、大阪学院大学国際学部教授就任。著書に『アイヌ 海浜と水辺の民』(新宿書房)など多数。専門はアイヌ民族学、北方先住民文化論。1960年より北海道アイヌのフィールドワークに従事。さらに周辺の先住民文化との比較研究のため中国・ロシア・アラスカ・カナダで現地調査を続けている。

2016年5月号掲載


豪華絢爛な衣装をまとった個性的な12人

──先生は「アイヌ文化研究」の第一人者とお聞きしています。アイヌの首長12人の姿を描いた「夷酋列像」(いしゅうれつぞう)の特別展が、2015年から3博物館(国立民族学博物館[民博]、国立歴史民俗博物館、北海道博物館)共同プロジェクトとして開催され、多くの来場者の関心を集めているそうですね。最初に「夷酋列像」とは何なのか教えていただけますか?

大塚 江戸時代の後期、蠣崎波響(かきざきはきょう)という松前藩の家老が描いた12枚の道東各地のアイヌ有力者の肖像画のことを言います。和人の横暴に耐えかねた一部のアイヌの人々が1789年に起こしたクナシリ・メナシの戦いで、松前藩に協力した首長たちが描かれています。

──私も夷酋列像の一部を印刷物などで拝見しましたが、とても美しい絵ですね。人物の表情やポーズ、描かれているものに独特の魅力があります。

「夷酋列像」イコトイ〈フランス ブザンソン美術考古博物館蔵〉

大塚 はい、なんといってもまずは絵の精緻な筆遣い、技量の高さはすばらしく、美術的にも価値の高いものだと思います。加えて、当時のアイヌの人々をこれだけ写実的に描いたものは他になく、夷酋列像はもっとも古いアイヌ民族の実像に近い肖像画とも言える、アイヌ文化に関する民族誌的資料としても非常に価値が高いものです。

──確かに、弓や槍を持ち、鹿や鳥、小熊なども描かれていて、当時のアイヌの人々の生活の一端が見えてくるようですね。衣装の豪華さも目を惹きますが、当時、アイヌの人々はこうした衣装を身につけていた?

大塚 いえ、決して日常的に身につけていたのではありません。松前藩所蔵のものを着用させたとみられます。しかし、アイヌの人たちがこれらの衣装をロシアや中国などとの交易によって手に入れていたのは確かです。

「夷酋列像」ツキノエ〈フランス ブザンソン美術考古博物館蔵〉


中国・ロシア・和人。交易で力を持っていたアイヌ

──それにしてもアイヌというと狩猟生活のイメージが強かったですが、外国との交易も…?

大塚 確かに狩猟生活のイメージが一般的ですが、江戸時代のアイヌの活動範囲は、東北地方北部から樺太・千島列島まで広範囲に住んでおり、日本が鎖国状態だった中、中国やロシア、和人を相手に手広く交易していたのです。したがって、経済的にもとても豊かでした。

──交易というと、どういったものを?

大塚 昆布や鮭、あわびなどの海産物、それにラッコや黒テンの毛皮などです。特に毛皮は当時、非常に高級品で、中国やロシアの皇帝や貴族がのどから手が出るほど欲しがったんです。その代わりにアイヌは、絹織物やガラス玉などさまざまな異国の装飾品を手に入れた。そうした品々はまた和人たちにも渡り、珍重されました。

「夷酋列像」ションコ〈フランス ブザンソン美術考古博物館蔵〉

──なるほど。和人はアイヌを介してロシアや中国の品を手に入れていたのですね。

大塚 はい。そのため、絵の中で彼らが着ている絹織物は、中国から北方経由で伝わったのに、アイヌの手を介在したことを示す「蝦夷錦」と呼ばれています。また、アイヌ文様の衣服や木彫品といった民族工芸品なども和人に人気を博し、当時の歌舞伎衣装をはじめ、江戸や上方の文化にも大きな影響を与えたのです。アイヌの着物をまとった北前船の乗組員が大阪(当時は大坂)の町を得意げに闊歩するなど、民衆の間でもアイヌ文化がもてはやされていました。


松前藩の目的は? 謎に満ちた「夷酋列像」

──ではなぜこのような絵が描かれたのでしょうか?

大塚 実は、その確かな理由はわかっておらず、謎なのです。夷酋列像は、江戸時代にアイヌを使役し、その地の産物を交易品として独占することで成立していた松前藩が、アイヌの蜂起を鎮圧したことで、幕府に統治能力を示すために描かれた絵とされています。当時は、支配するエリア内で一揆が起きると、統治能力が問われる時代でした。そのため松前藩は、アイヌの人々にあえて豪華な外国の衣装を着せることで、異民族を討伐したことを強く印象づけたかったのではないかとする説が有力ですが、本当のところはまだわかっていません。松前藩の何等かの意図が背景にあったものと推測されますが、残っている資料が少なく、そもそもアイヌ文化と歴史にはまだまだ謎が多いのです。

「夷酋列像」に描かれた12人の首長と拠点
破線の内部は、クナシリ・メナシの戦いが起こった場所。12人の拠点の大半が、戦いの起こった場所を取り囲むように位置しているのがわかる。〈(C)大塚和義〉

──夷酋列像の謎の中で先生が一番解き明かしたい謎は何ですか?

大塚 「12人の列像」の意味です。なぜ12枚なのか、12枚を通して見れば、そこに何かストーリーやメッセージのようなものが込められているのか。また、描かれている衣装や物品は一部実物も残されており、それが何かは分かるのですが、列像はそれぞれポーズも違えば、なぜか捕獲した鹿を背負っている人物がいたり、生活の一端も織り込むなど、肖像画としてはちょっと特異な存在だと言っていい。おそらくは和人がアイヌに対して抱いたイメージがかなり投影されているのだと思いますが、このような表現で何を伝えようとしているのか。そうした課題を探求していきたいですね。

──確かに12人の意味はとても興味があります。解き明かされることを楽しみにしています。
先生は、今、この夷酋列像の展示が行なわれていることで、どのようなことを期待しますか?


大塚 この絵にあるように、江戸時代には交易で隆盛を誇ったアイヌ民族も、昆布や魚、毛皮などが欲しくてアイヌの地へ入り込んできた日本の商人や幕府に次第に取り込まれ、狩りや漁ができる先住してきた生活地を取り上げられていきました。幕末から明治にかけては、生活習慣や言葉までも変えさせられ、民族文化の持続が保てなくなり衰退していく。そこからつくられた差別的なイメージが一部現代でも引き継がれています。この絵は、彼らが一番輝いていた時代の最後を飾る姿をあらわしたものなのです。こうした絵が残っていることは非常に貴重ですし、ぜひご覧いただいてアイヌ文化への理解を深めてもらえればと思います。

──国際化する社会の中でも意味がありますね。

大塚 そうですね。今、国際化の中で、日本の文化の良さや豊かさを見直す動きが出てきていますが、日本文化そのものも、こうした異民族の文化を取り込むことで発展し、隆盛してきたものであるということを、しっかり認識することが必要かと思います。

──今こそ異なる民族の文化を知ることが本当に必要な時代だと感じます。展覧会を通じて、少しでもアイヌ文化と民族への関心を持つ人が増えることを願っております。
本日はどうもありがとうございました。

首飾り(国指定重要有形民俗文化財)〈市立函館博物館蔵〉 アザラシ皮の靴〈国立民族学博物館蔵〉
アイヌ民族の装束。蝦夷錦を衣服に仕立てたものは、「ジットク」と呼ばれている。ジットク(蟒袍)〈国立歴史民俗博物館蔵〉


近況報告

今回のテーマ「夷酋列像」に関する特別展 「夷酋列像 ―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」 を、国立民族学博物館にて開催中。 【開催期間】2016年2月25日(木)〜5月10日(火)


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