こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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今も豊富に残る江戸時代の料理書。 「食」は「衣」や「住」に比べ 現代に通じるものが多いんです。

「江戸食」は日本古来の和食の原点

江戸食文化研究家 千葉大学名誉教授

松下 幸子 氏

まつした さちこ

松下 幸子

1925年生れ。埼玉県さいたま市在住。47年、東京女子高等師範学校家政科卒業。埼玉師範学校、埼玉大学を経て、65年より千葉大学に在職し、教育学部助教授の後、同学部教授に。92年定年後より現職。そのほか大妻女子大学家政学部非常勤講師なども歴任。著書に『江戸料理読本』(82年、柴田書店)、『祝いの食文化』(91年、東京美術)、『図説江戸料理事典』(96年、柏書房)、共著に『再現江戸時代料理』(93年、小学館)、『料理いろは包丁』(94年、柴田書店)など多数。

2002年5月号掲載


飽食の時代だからこそ素食の原点「江戸食」に注目!

──先生は、江戸時代の料理書および食文化の研究で著名でいらっしゃいます。また合せて、歌舞伎や催し物にちなんだお弁当の企画でも活躍されていらっしゃるそうですね。本日は、その再現弁当をいただくことができる国立劇場第1食堂にお邪魔して、再現弁当のお話はもちろんのこと、江戸の食文化や現代と江戸時代との食の違いなどについてもお話を伺いたいと思います。

ところで、先日書店へ出掛けたところ、江戸時代の食に関する本を集めたコーナーがありました。今、随分と江戸の食文化が注目を集めているようですね?

松下 確かに最近、江戸時代の食文化に関心を持つ方が増えてきたようです。理由はさまざまあると思うのですが、私は、2つの理由を感じています。

まずは、健康志向の高まりですね。日本には、明治時代に洋食が入ってきたのですが、食文化は江戸時代とさほど変らなかったと思います。しかし戦後になると、急速に食文化が多様化し、それに伴って生活習慣病などが問題視されるようになってきています。そういう意味で、日本古来の質素な食事の基本である江戸食が注目を集めているのではないでしょうか。

──江戸時代の食事こそ真の素食だから、それに学ぼうというわけですね。

松下 それからもう1つは、懐古主義とでもいいましょうか…。現代は、生活全般が洋風化しており、日本本来の姿が失われつつあります。あまりにそれが進んだために、江戸時代のような日本らしさを懐かしんでいるのかなと。

──分るような気がします。着物も特別な時にしか着ませんし、住宅も随分変りました。今では畳のない家ですら、全然珍しくありません。

松下 衣食住の中で、食が一番手っ取り早く日本らしさを味わうことができ、ノスタルジアを感じることができるのかもしれません。

──ところで、先生が江戸時代の料理書や食文化の研究を始められたきっかけというと?

松下 もともと私は、調理学を専攻しておりました。調理学というのは、ジャガイモからビタミンを一番多く摂取できるゆで時間を研究するなど、主に栄養成分がテーマの化学ですから、巨視的な食文化とはかけ離れているのです。

そんな私が、江戸時代の料理書研究を始めるに至ったのは、1974年に川上行蔵先生が始められた「料理書原典研究会」の会員募集の新聞広告に興味を覚え、早速会員になったことが発端なのです。この集まりは、江戸時代初期の料理書「料理物語」などを読むというもので、とても面白い講義でした。

──川上先生というと、今回私が読ませていただいた先生のご著書「祝いの食文化」の序文を書かれていらっしゃる方ですね?

松下 ええ。その他にもさまざまな方々との出会いも重なって、私はこの研究にはまっていったわけです(笑)。

──ですが、一口に江戸時代といっても、その間約270年。研究するにもいろいろご苦労が多いと思うのですが。

松下 そう思われますか? ところが、実は、江戸時代全般にわたる約200種あまりの料理書が、現在も主な図書館に所蔵されているのです。料理書には手書きの写本と、出版された刊本とあり、どちらも現在では貴重書です。その他、食品事典ともいえる「本朝食鑑」、総合百科事典の「和漢三才図会」など、当時の食文化を知る上で大変貴重な書物、資料が大切に保管されていますから、研究材料には事欠きません。とはいえ、庶民の食生活を知るための資料が少ないのが残念ですね。

──それにしても当時の文字を読むのは大変ではないですか? さらに、そこから文脈や意味を理解するのは、随分と根気が必要ではないかと思いますが。

松下 自分でいうのもおかしいのですが、本当にそう思います(笑)。千葉大学にいた時は、江戸時代の料理書を活字に起こしてまとめるという取り組みを、年1冊のペースではありますが、16年もの間続けていたんですよ。


江戸時代の意外な「食材」事情

──江戸時代と現代の食文化の違いというと、どのあたりなのでしょうか?

松下 もちろん違いはいくつかありますが、実は基本的には現在の和食とそう変らないのです。

歌川豊国作「豆腐田楽を作る美人」享和頃(1801−1803)<写真提供:(財)味の素 食の文化センター>
歌川豊国作「豆腐田楽を作る美人」享和頃(1801−1803)<写真提供:(財)味の素 食の文化センター>

たん白質の給源は主に大豆で、豆腐やみそは欠かせないものでしたが、その一方で肉類もかなり食べられていたようです。確かに、仏教の影響から4つ足のものを敬遠する風潮が浸透していたことは事実なのですが、陰ではね…。

大和郡山藩2代目藩主の柳沢信鴻が、隠居後の1773年から13年にわたり書き続けた「宴遊日記」に記されている献立の中にも、肉を使った煮物などが出てきます。

──では、魚はどうなのでしょうか?

松下 現在とさほど変らないと捉えていただいて結構です。タイはタイ、イワシはイワシのままですから(笑)。調理法も、フライのような洋食はもちろんありませんでしたが、それ以外は、煮るか焼くか、やはり今とあまり変らないのです。

しかし面白いのが、現在と江戸時代では、魚の位付けが随分違うということです。今、マグロやフグといえば、上中下の位を付けるとすると間違いなく上の魚ですが、江戸時代はイワシと同じ下の位とされていたのです。ましてやトロなんて、脂分が嫌われたようで全然人気がなかったのです。

──それほどに嗜好が違うとは意外です。

とすると、野菜も現在とあまり変らないと考えて良いのですか?

松下 いえいえ、呼び方からして違います。当時、野菜は青物と呼ばれており、その種類なども現在とは随分違っていました。

例えば、「料理物語」の中では、タンポポやボタンの花、ハコベなども野菜とされています。現在、山菜や野草とされているものが、江戸の料理書では数多く野菜類として紹介されているのです。

──タンポポが野菜ですか?

松下 そうなんですよ!(笑)幕末の「年中番菜録」を見ても、江戸時代初期と比べて花や葉の利用がやや少なくなり、サツマイモとカボチャが加わったくらいで、基本的にはそれほど変っていません。当時は、野菜の種類がとても少なかったようですね。

──では、現在のような野菜のラインナップは明治以降ということですか?

松下 ええ。今や私たちの食生活に欠かせないハクサイ、タマネギ、キャベツ、ピーマン、レタス、アスパラなどは、明治以降に外国から持ち込まれたもので、江戸時代にはありませんでした。

──現在ポピュラーな野菜の多くが、明治以降もしくは戦後日本にやってきたものなのですね。

とすると江戸時代の農民は、米作が主で、野菜は全然作っていなかったのでしょうか?

松下 そんなことはありませんが、菜っぱ類に関していえば、野生種がとても豊富で、あえて栽培しなくても困らなかったようです。一方、野菜の中でも比較的空腹を満たすことができるニンジンやダイコン、サトイモなどの根菜類、キュウリやナスビ、トウガンなどの果菜類等は、飢饉に備えた食料として栽培が重視されていたようです。

──ところでそのお味は?

松下 思い出してみていただきたいのですが、戦後すぐの頃の野菜と現在の野菜って、随分味が違うと思いませんか?

──確かに、キュウリはもっと苦かったし、ナスはもっと紫の色が濃かった。そしてホウレンソウも、もっとアクが強かったですね。

松下 でしょう? 戦後と現在でも違うくらいですから、江戸時代とはかなりの違いがあります。

というのも、明治以降栽培技術が飛躍的に進歩しましたし、品種改良も繰り返し行なわれましたから、野菜自体の味、形、色等が江戸時代とは大分違ってきているのです。

それだけではありません。例えば今、お店に並んでいるニンジンには、たいがい葉が付いていませんよね? ところが、1697年に書かれた「本朝食鑑」を見ると、ニンジンは「人参菜」と記されており、8、9月には葉や茎を茹でて食べ、冬から春にかけては根の部分を食べると書いてあるのです。品種自体の違いもありますが、葉の部分を出荷時に切り取ってしまう現在とは、食べ方、食べる部分も随分違いますでしょ?

──ダイコンの葉は今でもよく食べますが、さすがにニンジンの葉は最近食べていないですね。


今も昔も、日本料理は目で食べるもの?

──さて、目の前にご用意いただきましたおいしそうなお弁当が、江戸料理を再現したお弁当ですね?

2002年3月9日−24日に国立劇場で上演された歌舞伎の演目にちなみ、期間中、国立劇場第1食堂の特別メニューとなった「江戸の弥生弁当」。(左上から時計回りに)目鯛くるみみそつけ焼き、和えまぜ、煮物(里芋、椎茸、大根、蛸のやわらか煮)、ぎせい豆腐といったおかずに、ご飯、汁(カモ、セリ、ゆば)、キュウリのぬかみそ漬けが付いている
2002年3月9日−24日に国立劇場で上演された歌舞伎の演目にちなみ、期間中、国立劇場第1食堂の特別メニューとなった「江戸の弥生弁当」。(左上から時計回りに)目鯛くるみみそつけ焼き、和えまぜ、煮物(里芋、椎茸、大根、蛸のやわらか煮)、ぎせい豆腐といったおかずに、ご飯、汁(カモ、セリ、ゆば)、キュウリのぬかみそ漬けが付いている

松下 はい。現在、国立劇場で上演している演目にちなんで献立を立てました。

──3月は、『鉢の木』より「冬桜 二幕」と「秋の河童 一幕三場」でしたね。

松下 『鉢の木』の主人公の妻の名は、弥生といいます。そして3月は旧暦で「弥生」といいますよね。ですから「江戸の弥生弁当」と名付け、江戸時代の料理書の春の部から料理を選んで献立を決めました。

もちろん「秋の河童」にちなんだ料理も入れようと随分考えたのですが、河童自体が架空の生き物ですからなかなか難しく、結局、香の物をキュウリのぬかみそ漬けにしました(笑)。

──江戸時代の料理を再現する際に、気を付けていらっしゃることはありますか?

松下 彩りです。日本料理は目で食べるものといいますでしょ? もちろん、江戸時代の写真は残っていないのですが、錦絵などを見ると、当時も随分彩りに気を使っていることが分ります。また、料理書の中に記されている心得にも、彩りに気を配るようにとあるのです。

──味はどうなのでしょうか?

松下 再現する際には、江戸時代と同じ作り方で料理していますが、味は現代に合せています。というのも、江戸時代のまま再現したら、恐らく皆さん、塩辛くておいしく召し上がれないでしょう。江戸時代の人々は、電車や車なんてありませんから、とにかく歩く量が現在の人とは比較にならない程多かったわけで、必要な塩分量も、それだけ江戸時代の人の方が多かったのです。

──生活スタイル、運動量がまったく違いますからね。

それにしても毎回、演目にちなんだ献立を考えるのは大変ではないですか?

松下 ええ、特に毎回頭を悩ませるのは、予算との兼ね合いなんです…(笑)。

例えば、本日もう1つご用意した「明治の雛祭り膳」は、江戸東京博物館の企画展示にちなんで企画し、1030円でお出ししています。徳川家や大名家の雛祭りの献立も残っていますので、始めはそちらでとも思ったのですが、本膳形式ですから予算をオーバーしてしまいまして…(笑)。ですから、予算的にも比較的再現しやすい、明治時代の雛祭り弁当としたわけです。

江戸東京博物館の企画展「こどもの世界−ひな・きもの・おもちゃ−」(2002年2月26日−4月7日開催)にちなみに献立を立てたという「明治の雛祭り膳」。期間中、館内の食堂「モア」のメニューとして人気を博した。小豆飯、しじみのみそ汁、かれいの煮付け、赤貝と大根のなます、盛り合わせ(小巻玉子焼き、赤白蒲鉾、小巻すし)に、雛あられが付いている
江戸東京博物館の企画展「こどもの世界−ひな・きもの・おもちゃ−」(2002年2月26日−4月7日開催)にちなみに献立を立てたという「明治の雛祭り膳」。期間中、館内の食堂「モア」のメニューとして人気を博した。小豆飯、しじみのみそ汁、かれいの煮付け、赤貝と大根のなます、盛り合わせ(小巻玉子焼き、赤白蒲鉾、小巻すし)に、雛あられが付いている

──そんな裏話が、このお弁当にあったとは!(笑)とはいえ、実際に食べて歴史を感じられるなんて、とても素敵な取り組みです。今後もぜひ続けていっていただきたいと思います。

その他、今後の活動予定などは?

松下 現在、歌舞伎座のメールマガジンにおいて連載中の「江戸食文化紀行」に、さらに力を入れていくつもりです。

それから、まだ構想中なのですが、錦絵や再現料理の写真などを豊富に入れ、読みやすい文章と組み合せた、目で見ても読んでも楽しい本を出したいと思っています。もっともっと江戸の食文化に興味を持っていただきたいですからね!

──ご出版の日を心待ちにしております。

本日はありがとうございました。


近著紹介
『祝いの食文化』(東京美術)

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