こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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「匿顔社会」の今こそ 顔の持つ本来の意味を問い直さなければならないと 思います。

モナリザに「表情」をつける

工学博士・日本顔学会理事 東京大学工学部教授・日本顔学会理事

原島 博 氏

はらしま ひろし

原島 博

1945年東京生れ。68年東京大学工学部電子工学科卒業。73年同大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了。 この間同大学にて専任講師、70年工学部附属総合試験所助教授を経て現在に至る。テレビジョン学会編集長。工学博士。 また84年には米国スタンフォード大学客員研究員として渡米。第17回電子通信学会業績賞、第25回市村学術賞功績賞な どの受賞経歴を持つ。顔学会の今後の活動について、3年後には「顔の世界」と題し、それまでの研究成果を一般の人に も分かるような大会を開催したい、とのこと。「国立科学博物館でやった『人体の世界』が47万人集めたなら、『顔の 世界』は50万人ぐらい集めたい」と意気盛ん。主な著書に『画像情報圧縮』(91年、オーム社)、共著に『仮想現実学 への序曲』(96年、共立出版)、『人の顔を変えたのは何か』(96年、河出書房新社−写真下−)などがある。

1997年3月号掲載


「顔学」のきっかけはテレビ電話

──先生のご専門の電子情報工学と今日お話しする「顔学」とは、一見何の共通性もないように思ったのですが、なぜ先生は人の顔について興味を持たれたのですか。

原島 もう10年以上前になりますが、テレビ電話の問題について携わった時のことでした。テレビ電話は技術的には問題はないものの、なかなか受け入れられない。それは多分、都合の悪い時、例えば朝早くテレビ電話がかかってきても、身支度もしていない寝起きの顔を見せたくないという場合が考えられる。それならば、そんな時のために、「朝早いので、申し訳ありませんが、あらかじめ化粧をした顔で話させていただきます」というのがあってもいいんじゃないか、と思ったんです。自分が一番気に入った顔写真を送って、それをコンピュータ技術で動かしながら、どこまで自分の気持ちを伝えられるかを試してみよう、この研究が顔に関心を持ったきっかけです。

そのうち、その技術を使えば、コンピュータに顔を持たせられる。例えば計算している時、答えがなかなか出ない時には困った顔をさせ、答えが出たらニコッとさせるようにすれば、テレビ電話をかける感覚でコンピュータと情報のやりとりができるのではと考えたのです。

──いろいろな広がりのある技術なんですね。コンピュータに顔があったら親しみも湧くでしょうし。

原島 そうしましたら、今まで付き合いのなかった人達が結構興味を持ってくれました。

最初に来られたのは心理学者です。私達は、心理学では表情の研究をいろいろしているだろうからそれを使わせてもらう立場だと思っていたのですが、「先生のところのシステムを使って研究したい」と言ってきた。なんでも、写真だと照明条件によって印象がずいぶん違ったりするので、限界がある。その点、コンピュータを使えば条件は全部一定にして、顔のある箇所だけを変えることができるからかなり精密な実験ができるだろう、と。そこでその方々と共同研究を始めましたら、人類学者とか、メークアップアーティストの人達が「自分達も」と来るようになりました。


さまざまな分野の人が集まり生れた「日本顔学会」

──そこで「日本顔学会」が誕生することになったわけですね。

原島 当初は、全く違う分野のこの人達が一堂に会したら面白いのではないかと思い、6年ほど前に軽井沢で合宿をしましたら70人ぐらい集まった。

そこで翌年東京で「顔」と題したシンポジウムを開いたところ300人も集まったんです。それを毎年一回続けていたんですが、七夕のように会うのもいいけれど、自分の研究を、他の分野の人達に知ってもらいたい人もいるだろうから、そんな発表する場、ネットワークづくりも兼ねてきちんとした組織をつくろう、ということで、94年3月に「日本顔学会」が発足したんです。

顔は本来一番大切なところであるはずなのに、今まで特に研究がされていません。顔は、親からもらったものだし、それをうんぬんするのはあまり良くない、ということで、おそらく手をつけてこなかったんでしょうね。学会ではそれを多方面から科学的にやっていこうとしています。こういったいろんな学問にまたがって「顔学」をやるというのは、意外にないんですよ。

──先程、人類学者とかメークアップアーティストの方がメンバーになっているとおっしゃっておられましたが、他にはどのような分野の方がいらっしゃいますか。

原島 先程言った方々のほか、伝統芸能に携わっている方とか、それから「顔というのは哲学の基本である。人間はなぜ顔を問題にするのか、それは人間そのものを問題にするのと同じだ」という哲学者もおられます。

──医学関係の方もおられるんでしょうか。問診とかは顔を見ることが基本ですよね。

原島 ええ。特に精神医学の先生は、患者さんの脳波とかいろんなデータはもちろん重要だけれども、顔の表情が基本だとおっしゃいます。それから今会員数は五百数十人いますが、歯医者さんが一番多くなりました。日本人は歯並びが悪い。それは歯医者さんから見れば恥ずかしいことのようです。何とかしなければいけない、と顔の一部として歯を位置づけて考えておられるそうで、非常に熱心です。


平均の顔から見える集団の共通の属性

──では、先生のご専門の分野では、どのような顔の研究をされているんでしょうか。

原島 いくつかあるんですが、最初はモナリザの顔にいろんな表情をつけることから始めました。

心理学では人間の顔の基本的な動きは44通りあるという説があるので、それに基づいて動かしてみました。最初は眉の内側を上げたり外側を上げたりしてみたのですが、一向に顔の印象が変らない。よくよく見たらモナリザには眉毛がないことにその時気づいたんです(笑)。そんなこともありましたが、モナリザに映像として表情をつけたということで、世界中で有名になりました。

次に顔の印象は一体どこからくるのだろうか、ということをやりました。人と話す時、自分の気に入った顔で話したい、相手にいい印象を持ってもらいたいと思うでしょう。その気に入った顔をどうやってつくったらいいか、表情に限らず、容貌についても考えてみようと思いました。

そこで、気に入った顔、その魅力はその人の個性からくるであろうから、その個性がどこから生まれるのかを探るために、個性を打ち消した平均の顔をつくってみたのです。

まずうちの修士の学生が同級生の顔を写真に撮りまして、22名分集めました。そして、もちろん本人の了解をとった上ですが、これらを使って東大大学院生の平均の顔をつくりましたら、これが結構美男子系の顔になりました。

──平均をとればとるほど整った顔になるわけですか。

原島 そういうことです。そうしたら、別の大学では、あるいは別の職業では、と当然思いますよね。そこで、いろいろな機会があって銀行員やプロレスラーの平均顔もつくりました。この両者を並べてどちらが銀行員でどちらがプロレスラーかと質問したら、ほとんど全員が同じ答えを言う。両者とも何の操作も加えず、それぞれ10人程の顔でつくっただけなんですが、はっきりと違いが出て、われわれが想像する典型的な顔が現れたわけです。

10人それぞれの顔にはちゃんと個性があるのに、平均をとると個性が打ち消しあってその集団に共通の属性が浮き彫りになってくるんです。

──やはり、あるひとつの環境、職業に置かれると、それに顔がだんだん合っていくんでしょうね。

原島 また最近ではある科学雑誌の企画で、顔学会の発起人でもある国立科学博物館の馬場先生と一緒に「未来の日本人の顔はこうなる」というのをやりました。馬場先生が頭蓋骨の形を予想し、私の研究室でその肉付けを行い、100年後の日本人の顔をシミュレーションしてみたんですが、先のとがった逆円すい形のコーンの上にアイスクリームが乗っかったような形になりました。あごは極端に細くなり、顔の幅は狭く、逆に頭は大きい。これは食生活の変化によるものだそうです。


メディアによってつくりだされた「匿顔社会」

──ところで先生は、現代は「匿顔社会」だとも言っておられますが、これについてお聞かせください。

原島 今はいろんな情報技術の発達により、顔を見せないコミュニケーションが可能です。電話は声の調子によって相手のことが分かりますが、電子メールなどはほとんど文字だけの世界でコミュニケーションできる。これは場合によっては逃げになっているわけです。正直言ってわれわれも、相手に会いたくないから電話で済ませてしまうことがありますよね。それはそれでいいんでしょうが、顔を合わせない方が気軽だというのが特に若い人達に増えてきて、またメディアもそれをどんどん可能にしているところがある。

そんな風潮を「匿名」という言葉をもじって「匿顔」と言っているんです。

──顔を隠すというと、なんだか悪いイメージがありますが。

原島 そこが難しいところですが、近代市民社会はある意味、匿名だから成立してきたとも言えますし、その中でも匿名ではいけない場合などのルールができてきた。もしかしたらこの「匿顔社会」にもそういったルールができてきて、電子メールには原則として顔写真を付けよう、ということになるかもしれない。

──もしそうなれば、文字だけのものとくらべ、情報価値の変るかもしれませんね。

原島 一方、顔を隠すことで勇気が出せる、というプラスの効果もあります。そういった面もしっかり考えなくてはいけません。このような顔を隠してのコミュニケーションが可能な現在は、改めて顔の重要性、コミュニケーションにおいて顔はどういう意味を持っているのか、問い直さなければならなくなったと言えるのではないでしょうか。

まだ実は、われわれはだんだん顔を隠していく一方、本当は「見せたい」という気持ちもあるんですよ。女子高生の間で流行っているプリントクラブなんか、その現れだと思います。

──コンピュータ科学のサポートで生れた「顔学」ですが、社会学などにも発展するし、まさにいろいろな学問の交差点といったところですね。また、顔は誰にもあるものですから、とても身近な話題として、一般の人にも入っていきやすいのではないでしょうか。

これからの「日本顔学会」のますますの発展と成果を期待いたします。

本日はありがとうございました。


近著紹介
原人から未来人まで「顔」の不思議に迫る『人の顔を変えたのは何か』(河出書房新社)

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