こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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砂漠から生れた西洋思想と 森林から生れた東洋思想は 宗教も世界観もまったく異なります。

「ロゴス」と「レンマ」−風土がつくる思想

地理学者 清泉女子大学文学部教授・東京大学名誉教授

鈴木 秀夫 氏

すずき ひでお

鈴木 秀夫

1932年横浜市生れ。55年、東京大学理学部地学科卒業。理学博士。93年3月まで、東京大学理学部地理学教授を務めた。専攻は地理学。82年に風土研究賞受賞。主な著書は「超越者と風土」「風土の構造」(大明堂)、「氷河時代」(講談社)、「氷河期の気候」(古今書院)、「エチオピア標準語入門」(アジスアベバ社)、「エチオピア標準語辞典」(日本字研社)、「気候の変化が言葉をかえた」「森林の思考・砂漠の思考」(日本放送出版協会)等。ドイツ留学の経験も持つ。

1993年10月号掲載


日本人に多い「わかりません」「どちらでもいい」

──先生の著書「森林の思考・砂漠の思考」を拝読させていただいて、ふと思い当ることがありました。

先日、アメリカの人も交えて仲間内でゴルフのコンペをやっていたら、途中で雨が降ってきまして、もうハーフやろうか、やるまいか、ワイワイ議論になったんです。口で言うと角が立つから、紙に書いて無記名投票にしようということになって、やりたい人は「A」、やりたくない人は「B」と書くことにしたんです。仲間の一人が「どっちでもいい場合はどうしようか」と言うんで、「Cにでもしておけよ」と言って投票してみたら、なんと「C」と書いた人が3分の1もいました。

そのため、数がぴったり割れてしまって決らないんです。そしたらアメリカ人が「AかBかはっきりしろよ。Cと書いたのは誰だ」と文句を言いました。実は私も「C」と書いた一人だったんですが・・・(笑)、「日本人はこういうところが困る。自分の意志をもっとはっきり言うべきだ」という話になったんです。「でも私としては、本当にどっちでもいい、みんなが決めた方に従うのが楽しいんだ」と言ってもわかってもらえないんです。

鈴木 それはおもしろいお話ですね。

確かに本にも書きましたが、アンケート調査などをすると、日本人は比較的「わかりません」あるいは「どちらでもいい」という回答が多いんです。これは決して意識が低い人々が多いということではなくて、根源に、森林の思考、仏教的な思想が内在するとも考えられるんです。

──今日は、そういった、日本人と西洋人の考え方の違いの根源はどこにあるのかというお話をお伺いしたいと思います。


西洋は「ロゴスの論理」、東洋は「レンマの論理」

──先生は、西洋と東洋の宗教、文化、考え方などの違いを、砂漠的思考と、森林的思考との相違によるもの、とおっしゃっていますね。

鈴木 ええ。まず、西洋のユダヤ・キリスト教の論理は「ロゴスの論理」です。この論理は「A」か「非A」か、「善」か「悪」か、というふうに、常に二者択一なんです。これは砂漠で生活するためには必要不可欠なことです。

つまり、水場があるかないか、常に決断を迫られるわけです。選択次第でその後の運命は生か滅か、大きく違ってくる。

東洋、すなわち仏教の論理は「レンマの論理」と言いまして、例えば「A」というのは「非A」があって初めて存在する、言い換えれば「善」は「悪」があって初めて存在する。ゆえに「善」も「悪」もそれ自身では存在し得ないが、しかし現実には存在している、という論理なんです。ちょっと理解しにくいかもしれませんが、根本にあるのは「すべてのものは互いに相まって存在している」という考え方です。ちなみに、仏教ではこれを「空(くう)」と表現しています。これは、森林には生が満ち満ちており、砂漠と違って、生か滅か、行く手を思い悩む必要がない、区別する必要がない、という背景と密接な関連があります。

──取り巻く風土の違いが、同じ人間同士に、まったく異なる思考、宗教を生み出させたわけですね。

鈴木 そういうことです。そして各々の宗教が持つ世界観には、大きな隔たりがあるんです。

ユダヤ・キリスト教においては「万物が『全能なる神』により創造されたものであり、世界は決して永遠ではありえない。世界は天地創造から終末に向かって一直線に進行している」という「直線的世界観」があります。その中で「進歩思想(フォー・ベター・トゥモロー)」というものが生れ、すべてのものが一つの流れの中で、終末に向けて進歩している、と考えられています。

それに対し、仏教の場合、前述しましたように、まず、万物が空ですから、絶対者(例えば如来)もまた空でなければならず、天地万物は絶対者と共にあるものである、と考えます。そして、絶対者がなくなるということは考えられないから、従って、天地万物もなくなることはない。さらに、死んだ生物が土に帰り、そこからまた新しい生命が誕生するという「輪廻転生」の概念も加わって、万物は永遠に流転するという「円環的世界観」が成立したのです。

──砂漠から生れたのが、いつかは終ると考える世界観で、森林から生れたのが、永遠の世界観なんですね。なんとなく、理解できるような気がします。


人間を「個」と考えるから民主主義が成り立つ

鈴木 ところが、日本は近年、西洋思想から生れた制度や方法等を数多く取り入れている。中でも代表的なのが「民主主義」ですが、これは本来、仏教徒が主流の日本には根付かない、定着しないのではないかと私には考えられます。

要するにユダヤ・キリスト教では、人間は「個」であると考えます。そして、全能なる神をものすごく大きな存在と考え、その神から見たら、個の存在なんていかにも小さい、みんな同じである。だから、それぞれの意見を出し、多数決を採って、物事を決定しようというシステムになっているわけです。「陪審員制度」などもそういう考え方のもとに生れていると思います。

──私などの考えからすると、陪審員という、言わば法律に関しては素人の集団に有罪だの無罪だのと決められてしまうより、経験や勉強を積んだ権威ある大裁判官に判定してもらった方が、納得できるのではないか、と思ってしまうんですが・・・。

鈴木 そのあたりが、仏教との違いで、個人、インディビジュアリズムが元になっているかどうかでしょうね。つまり、ユダヤ・キリスト教は、神のもとで人間はちっぽけな存在同士、みんな平等、対等である、という考えなんですね。

反面、仏教では、菩薩など修行に応じて階層があるように、われわれの中に、より知識の豊富な人の意見や判断を尊重するという考え方が根付いているのかも知れませんね。

──なるほど。ところで、いいか悪いかは別にして、今や、世界的にユダヤ・キリスト教的思想が広まりつつあります。日本でも、文明開化以降、どんどん西洋のものを取り入れています。中身は森林的、仏教的、円環的思考であるのに、ハード、つまり経済のシステムや生活様式等は、砂漠的、ユダヤ・キリスト教的、直線的思考が入ってきているわけです。

しかし、とりあえず接(つ)ぎ木のように西洋のものを今までの文化につなぐとしても、私たち自身が、その元木である東洋の思考の本質を理解していないと、この接ぎ木は立派な大木に育たないような気がします。さもないと、徒(いたずら)に西洋コンプレックスを増大させるだけだと思うんです。

「国際化」などと言っても、まず、自分自身の、あるいは日本、東洋の思考をはっきり知った上で、西洋の考え方も取り入れるべきではないかと思うんですが・・・。

鈴木 その通りですね、まさにそのことに悩み、日本人は日本的な生き方をすべきであると言ったのは、夏目漱石で、最近、漱石がまた読まれ出してきたというのは、そのへんにあると思います。


日本人の持つ「曖昧さの良さ」を見直すべきでは

──しかし逆に、現状を見ていますと、西洋と東洋のいい部分を合せ持って、両方が成り立つような考え方をしていけるのは日本人だけかなという気もするんですが。

鈴木 ええ。今のところは日本人だけだと思います。ユダヤ・キリスト教的なロゴスの論理を120年間でほとんどマスターしてきたんですからね。「A」か「非A」かという単純な構図だったということがあると思いますが。

──逆に、西洋の側からこちらを理解するのは非常に困難で、長い時間がかかるのではないでしょうか。

鈴木 そうですね。相当長い間分からないかもしれません。

──日本人独自の思考もできてくるかもしれませんね。

鈴木 まさにこんな例があるんです。かつて日本のある企業がオーストラリアの企業と一定の価格で砂糖の長期契約を結んだ。ところがある年、国際価格が暴落したため買わなかったら、契約違反だということで国際法廷に提訴された。しかし最終的には、オーストラリアが提訴を取り下げ、日本のペースで終ったということです。

──どういうことなんですか。

鈴木 ロゴスの論理でいけば、これは個と個の契約ですから、契約違反はけしからんということになるんですが、その時日本の企業は「契約は契約だけど、今回はちょっと泣いてくださいよ。今、契約通りに砂糖を買ったら、こっちは倒産してしまう。そうなったら、あなたは今後、売る相手がいなくなってしまうじゃないですか」という言い方をした。それで決着したわけです(笑)。

──空の思想、レンマの論理ですね。

鈴木 そういうことです。そして、この論理が通じたというわけです。

要するに、常にどちらが「勝った、負けた」「善、悪」というのではなく、両者が納得して決着すればそれでいいじゃないか、という曖昧さの良さみたいなものを日本人は持っているわけで、こういう日本人でなければできないことを、われわれはもっとするべきであると思います。

──そうですね。しかもそれは国際的に通じるわけですからね。

その意味で、最初に申し上げたような「C」とか「わかりません」と答えることの良さ、ファジーであることの良さも、あらためて考えてみてもいいのかもしれませんね。

ありがとうございました。


近況報告

※鈴木秀夫先生は、2011年2月11日にご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)


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