こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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農業に大きな被害をもたらす植物病。 世界中で8億人分もの食糧が失われています。

生存に必要な物質を寄生相手から調達する『怠け者』微生物

東京大学教授 総長特任補佐

難波 成任 氏

なんば しげとう

難波 成任

1951年生れ。82年東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。85年東京大学農学部助手。89年アメリカコーネル大学客員研究員。92年東京大学農学部助教授。95年同教授。99年同学大学院新領域創成科学研究科教授。2009年より同学大学院農学生命科学研究科教授。主に植物ウイルスと、植物にさまざまな病気を引き起こす微生物「ファイトプラズマ」、およびそれを伝搬する昆虫と植物との相互作用について研究を行なっている。また、ウイルスの進化とその起源について探るとともに、病原性、ウイルスの輸送、宿主決定など、各種の重要な機能に関与する遺伝子の解明などに取り組んでいる。主な著作に『農学・21世紀への挑戦』(世界文化社)、『最新植物病理学』(朝倉書店)、『植物医科学 上』(養賢堂)など(いずれも共著)。

2012年1月号掲載


寄生相手からエネルギーをもらう
「怠け者細菌」


──先生は、植物と昆虫の間を行き来して病気を起こす微生物のゲノムの解読をされたと伺っております。
専門誌で「怠け者細菌」という言葉で表現されていたのを見て、大変興味深く感じました。
難波 その病原体は、「ファイトプラズマ」といいまして、生物と無生物の境に位置するものです。非常に小さく、駆除が難しいため、世界中の農業に大きな被害をもたらしています。
ちなみに、雑誌で掲載された「怠け者細菌」という言葉は、編集長の方が付けた名前なんです。
──なぜ『怠け者』というのですか?
難波 ファイトプラズマ自体は、ゲノムが小さく、生きるための最低限の遺伝子を持っているだけで、生存に必要な物質のほとんどを寄生した相手から調達するためです。
エネルギーを自分でつくるというのが、生物の基本的な定義ですが、「ファイトプラズマ」は、生物に不可欠とされるエネルギー生産システムの遺伝子さえ持っていなかったのです。
──自分で機能を持たずに、人から取るのですか。確かに『怠け者』ですね。
ところで、ファイトプラズマが寄生し病気になった植物は、昆虫によって感染が広がるとのことですが、どのようにして?
難波 セミの仲間の小さな「ヨコバイ」という昆虫を介して農作物に拡散します。
「ヨコバイ」が「ファイトプラズマ」に感染した植物の茎の汁を吸うと、「ファイトプラズマ」がその「ヨコバイ」に寄生し、さらにその「ヨコバイ」が別の植物の汁を吸うことで感染していくのです。

セミの仲間の小さな昆虫「ヨコバイ」。植物病原体「ファイトプラズマ」を媒介する。農作物は感染するとさまざまな病気を引き起こしてしまう<写真提供:難波成任氏>
セミの仲間の小さな昆虫「ヨコバイ」。植物病原体「ファイトプラズマ」を媒介する。農作物は感染するとさまざまな病気を引き起こしてしまう<写真提供:難波成任氏>

──感染した植物は、どのような症状を起こすのですか?
難波 「ファイトプラズマ」が、植物の栄養分を吸い取るため、葉や茎が成長不良になったり、黄色く枯れたりします。また、小さい枝が集中的に大量発生して枯れる「天狗巣病」をはじめ、花が葉に変る「葉化」や、変色する「緑化」、小さくなる「萎縮」など、さまざまな症状が現れます。
──こうした病気は、日本ではいつ頃からあったのですか?


 

難波 かなり昔からあったようですが、明治時代に養蚕業が盛んになった頃からこの病気が大きな問題になり、人々の関心を集めるようになりました。蚕の餌となるクワの葉が縮んだり、小枝が大量に出て全体が萎縮するなど、異常な症状が現れたのです。
専門家が集まって調査をしても原因が分らず、結局30〜40年もの間、ほったらかしになり、その間に、他の植物にも感染が広がりました。現在では600種類以上の病気がこの微生物によって発生していることが分っています。
──ものすごい感染力ですね。農業にも相当大きなダメージがあるのでしょうね。
難波 その通りです。イネなどの穀物や野菜が感染した場合も、成長が妨げられます。近年も、国内で被害が広がっており、深刻な問題となっています。
また、外国でも大きな被害が出ているんですよ。中国では大量の桐の樹が、また東南アジアなどでは、洗剤や繊維などの原料となるココヤシの木が枯死しています。感染すると、その年のうちに全滅してしまうといいます。
──大変恐ろしいですね。
しかし、今回のゲノムの解読で、媒介の仕組みや、ファイトプラズマ病の予防法の手掛かりが得られるのでは? これからは、駆除薬が開発できるかもしれませんね。
難波 はい。すでに早期発見のための診断キットを開発したり、防除方法などの研究を進めています。


まちのお医者さん
「コミュニティ植物医師」


──先生は病原体の基礎的な研究に取り組まれているほか、植物病を防ぐために、さまざまな活動に尽力されているそうですね。
難波 現在、植物医科学という分野に取り組んでいます。これは、害虫や生理障害など、植物の病気を診断する学問で、植物病の臨床技術の開発や、植物病の予防・診断、治療を行なう「植物医師」の養成を行なうなどの活動をしています。また、2008年には、国内初となる「植物病院」も東京大学大学院農学生命科学研究科に開設しました。
──それは先進的な取組みですね。


 

難波 ええ。現在、世界の作物の全生産可能量のうち、約3分の1は、病気や害虫、雑草によって失われています。中でも病害は、12%にものぼり、年間8億人分もの食糧が失われていることになります。もちろん基礎研究も大切ですが、目の前でむざむざなくしているものを防ぐことで、世界の飢餓人口を養えるだけの食糧を守ることができるかもしれないと考えています。


(写真左上)最近では、緑花のアジサイも、実は「ファイトプラズマ」が原因のアジサイ葉化病であることが分った。 (写真右上)「ファイトプラズマ」に感染したチューリップ。花の色が絞り模様をつくり、変化している。見た目に美しいので、珍重されてきた。
近年、世界中で大きな被害を及ぼしているウメ輪紋ウイルス病に感染したウメの葉。アブラムシの媒介や接ぎ木により、ウメ、モモ、スモモなどに感染する病気で、感染すると、葉に薄い緑色のドーナツ状の模様ができる。日本では2009年4月に、東京都青梅市のウメで初めて感染が確認された<写真提供:難波成任氏> 「天狗巣病」の症状が現れたナツメ。枝がほうき状に細かく枝分かれして鳥の巣のようになって枯れてしまう。
(写真右上)「ファイトプラズマ」に感染したチューリップ。花の色が絞り模様をつくり、変化している。見た目に美しいので、珍重されてきた。(写真左上)最近では、緑花のアジサイも、実は「ファイトプラズマ」が原因のアジサイ葉化病であることが分った。(写真右下)「天狗巣病」の症状が現れたナツメ。枝がほうき状に細かく枝分かれして鳥の巣のようになって枯れてしまう。(写真左下)近年、世界中で大きな被害を及ぼしているウメ輪紋ウイルス病に感染したウメの葉。アブラムシの媒介や接ぎ木により、ウメ、モモ、スモモなどに感染する病気で、感染すると、葉に薄い緑色のドーナツ状の模様ができる。日本では2009年4月に、東京都青梅市のウメで初めて感染が確認された<写真提供:難波成任氏>

──さらに、植物病を防ぐために、千葉県柏市との連携で国内初の取組みを始められたとか。
難波 地域における植物病の診断や治療、予防を行なう人材の育成を目指して、2011年6月に、知識や技能の習得を目的とした講座「コミュニティ植物医師養成プログラム」が新しくスタートしました。
柏市民の希望者に研修を受けてもらい、日本植物医科学協会が試験を行なって、「コミュニティ植物医師」として認定する資格制度です。
研修は参加無料で、家庭菜園、害虫、農薬の使い方などについて学習します。
──「コミュニティ植物医師」はどんな活動をするのですか?
難波 プロの「植物医師」よりも身近な存在として、基本的にはボランティアで、地域の花や植木の病気の予防や診断、治療を行ないます。生産者と消費者との間に立って、コミュニケーションを取るような役割をつくれたらいいなと考えています。
──どの位の方が研修を受けたのですか?
難波 柏市は人口約40万人ですが、なんと約1000人もの応募があったんです。11月に認定試験を終えて、約700名が合格しました。今後は7地区に分れて活動し、「植物病院」と連携しながら、環境保全や地域の活性化に貢献していければと思います。
──面白い取組みですね。


 

難波 他の地域でもぜひやってほしいという声が多く、今後も広めていきたいです。

活動の原点は
施療の心


──それにしても、先生は研究者でありながら、なぜこうした活動に積極的に取り組まれているのですか?
難波 実は、私はもともと医者になりたかったのですが、どうしても血を見るのが苦手でなれなかった(笑)。そんな時、植物を病気にする微生物の存在を授業で知り、興味を持つようになりました。
それでもやはり、医者心といいますか、人助けをしたいという思いがあって、植物の医師になることに決めたのです。
──なるほど。原点は施療の心だったのですね。その思いをこうした活動につなげられた。本当にすばらしいことです。
先生の今後のテーマは?
難波 当面は、柏市のモデルをしっかりと根付かせて、その後は全国展開を行なっていきたいと思います。全国に広まった段階で、自分一人で運営するのは無理なので、事業化を考えています。


(写真左)地域で植物病の診断や治療を行なう人材を育成する「コミュニティ植物医師養成プログラム」の講義の様子。参加者は熱心に受講している<写真提供:難波成任氏>
(写真左)地域で植物病の診断や治療を行なう人材を育成する「コミュニティ植物医師養成プログラム」の講義の様子。参加者は熱心に受講している<写真提供:難波成任氏>
(写真右)千葉県柏市の市民を対象にした「コミュニティ植物医師養成プログラム」の説明会には、1,000名を超える市民が参加した<写真提供:難波成任氏>
千葉県柏市の市民を対象にした「コミュニティ植物医師養成プログラム」の説明会には、1,000名を超える市民が参加した<写真提供:難波成任氏>

──ご研究と社会活動の両輪でお忙しいとは思いますが、成業を期待しております。
本日はありがとうございました。


近著紹介
『植物医科学 上』(養賢堂)

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