こだわりアカデミー
神秘的な性質を持つ「クモ」。 その奥深さに、人間が学ぶ点はたくさんあると思います。
柔らかくて強いクモの糸の神秘
奈良県立医科大学医学部教授
大崎 茂芳 氏
おおさき しげよし

1946年兵庫県生れ。大阪大学理学部高分子学科卒業、同大学院理学研究科博士課程修了。神崎製紙�蝓文讐�子製紙�蝓妨Φ羂�、技師、�螢縫船し弍調覯莠蕊�長、�螢泪ぅ�ル商品研究所所長、島根大学教授を経て現職。高分子学会、日本蜘蛛学会、日本バイオマテリアル学会、繊維学会などに所属。著書に『クモの糸の秘密』(岩波ジュニア新書)、『コラーゲンの話〜健康と美をまもる高分子〜』、『クモの糸のミステリー〜ハイテク機能に学ぶ〜』(いずれも中央公論新社)、『クモはなぜ糸から落ちないのか』(PHP研究所)など多数。2006年5月、クモの糸で作った紐に自らぶら下がり話題となる。趣味は物件を見て回ること。これまでに、十数回の引っ越しを経験されているとか。
2010年1月号掲載
目的に応じて糸を使い分けるクモ
──先生は、糖質、タンパク質、核酸などの高分子を研究する「生体高分子学」がご専門で、これまでに、コラーゲン線維の並びを迅速に測定できる方式を世界に先駆けて見出されたり、皮膚移植法を提案されたりと、多岐にわたりご活躍されていらっしゃいます。その一方で、「クモ」に関する研究の第一人者としても有名でいらっしゃいますが、そもそもクモに興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?
大�� 私は一時期、一般の企業に勤めていたことがあり、そこではシールなどに使う粘着剤の研究に携わっていました。その時、ある科学雑誌に「粘着とクモの糸」についての記事を書いてほしいとの依頼がありまして、引き受けるからにはきちんとクモのことを知ったうえで書こうと思い、いろいろと調べたところ、クモの生態は何とも奥深い! いつの間にか、クモの魅力、特に『クモの糸』の魅力に引き込まれてしまっていたんです。
──クモの糸には、どんな魅力が隠されているのですか?
大�� クモの糸の魅力を語り始めるとキリがありません(笑)。例えば、クモは、目的に応じて糸を使い分けることができるんです。クモの巣の「横糸」は、エサとなる虫を捕らえるために粘着球が付いていますし、獲物を巻き付ける時には「捕獲帯」という糸を使う、また、横糸を張るために「足場糸」をあらかじめ張っておく、といった具合に。
──なるほど。一見、同じ糸でできているように見えますが、クモは実は数種類の糸を巧妙に使い分けているんですね。
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| クモが張る代表的な円網 1.枠糸、2.けい留糸、3.縦糸、4.横糸、5.こしき、6.付着盤、7.牽引糸 |
──ところで、先生はクモの糸の中でも特に、獲物を迅速に捕まえる際や、危機に遭遇して逃げる場合などの「命綱」として使う「牽引糸」に注目されています。その糸をたくさん集めて『クモの糸の紐』を作り、それをハンモックの一部に使って、先生ご自身がぶら下がることに成功されたそうですね。芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』に出てくるカンダタが、蓮の池から地獄へ垂らしたクモの糸につかまって、よじ登るシーンを思い出します。
大�� まさに、カンダタの話がぶら下がりの原点でして(笑)。ある異業種交流会で私がクモの糸について話をした時、出席者の1人が「『蜘蛛の糸』の世界が実現できれば、センセーショナルが巻き起こりますね」といったのを聞いて、「なるほど、クモの糸にぶら下がることができたら面白いな」と思ったんです。それで、19万本の糸を束ねて、太さ約4�个砲掘�1周の長さがおよそ20�僂良海領悗鮑遒蠅泙靴拭�
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| 大��先生が手にしているのが牽引糸の輪。この輪を作るためには、相当な根気が必要<画像提供:大��茂芳氏> |
──しかし、19万本の糸を集めるなんて凄いですね。しかも、相手は生き物ですから、こちらの思い通りにいかないことも多かったのではないですか?
大�� そうなんです。クモの糸集めには、何より根気が必要でした。クモはいつでも糸を出してくれるわけではありませんし、糸を出していたとしても、それが「牽引糸」であるとも限らない。また、クモの成熟する時期である夏の暑い日、炎天下での糸取り作業には苦労させられました。
しかしそのうちに、だんだんとクモの習性を理解できるようになり、クモの気持ちというか、行動パターンが読めるようになっていたんです。調子の良い時には、手製の糸巻き取り機に毎秒30�僂�らい採取できるようになりました。多く巻き取るコツは、クモにどれだけ『気持ち良く』糸を出してもらうか、ですね(笑)。
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| 実験で使うクモの牽引糸を、コガネクモから巻き取る様子<画像提供:大��茂芳氏> |
クモの命綱に関する不思議な『2』の法則
──人間がぶら下がることができるほどですから、クモの糸は相当強いものなんでしょうね。
大�� そうですね。しかし、クモの糸はただ強いだけではなく、『柔らかい』という性質も持ち併せています。例えば、強いというだけなら「ケブラー」という繊維のほうが優れています。が、『強さ』と『柔らかさ』2つの性質を併せ持っている点で、クモの糸は非常に優れているのです。
──人間をもぶら下げてしまうクモの糸には、そうした性質が備わっていたんですね。
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| クモの糸に結んだハンモックにぶら下がった体重65kgの大��先生<画像提供:大��茂芳氏> | 木とハンモックの留め金に結んだ通常のロープを、牽引糸の束でつないだところ(中央の細い束)<画像提供:大��茂芳氏> |
──ところで、先生は牽引糸をさらに調べていくうちに、面白い法則を発見されたとか。それはどういったものなんですか?
大�� はい。糸の張力と伸びの関係について研究を進めていた時に、牽引糸の弾性限界強度(糸がバネのように伸び縮みできるギリギリの強度)は、クモの体重に比例して増大し、その傾きは約『2』であることが判明したのです。つまり、牽引糸の弾性限界強度は、いつも体重の約2倍に相当するということです。なぜ、このように上手く『2』という数値になるのかは謎ですが・・・。
──なるほど。だから、クモは成長とともに体重が増えても、ぶら下がった時に糸が切れないんですね。
大�� 実は、他にも『2』にまつわる面白い法則を見付けまして。牽引糸は、目視では1本に見えるでしょう? ところが、電子顕微鏡で観察してみると、円柱状の細い2本のフィラメントから成っていることが分ったんです。つまり、たとえ1本のフィラメントが切れてしまっても、残り1本のフィラメントでクモを支えられることを意味しています。これが1本だけとなると、いくら太いフィラメントでも、どこかに亀裂が入ってしまえば、当然切れてしまう。クモの命の保証はありません。
──それは凄い! 牽引糸は、万が一の危機に備えた究極の命綱なんですね。
たかがクモ、されどクモ・・・ 人間がクモから学べる点とは?
──これまでいろいろと、クモの性質について興味深いお話を聞かせていただきましたが、まだまだクモには秘密がありそうですね。
大�� はい。最近はリサイクルが叫ばれていますが、実態はそれほど上手く進んでいないように思われます。その点クモは、リサイクルも実践しているんです。
──というと?
大�� クモは頻繁に巣を張り換えますが、例えば、ズグロオニグモなどは、自分の壊れた巣を取り集め、糸を口に入れ、しばらくしてから新たに巣を作り始めます。この時、直前に食べた糸をまた腹から出し、そのリサイクルした糸で巣を張っているのです。
──何ともエコな生き物ですね(笑)。そういえば、クモの糸には、紫外線に強いという特徴もあるそうですね?
大�� そうなんです。紫外線照射に対しては、カイコの生糸よりもクモの糸のほうが劣化しにくいことが分っています。
このことから、紫外線に強い新しい繊維素材として利用するという可能性が考えられます。いずれは、クモの糸を人工的に大量生産する、なんて夢にまで広がりますね。
──では、先生にとって「クモ」とはどういう存在なのかお聞かせください。
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大�� クモはいわば、私の「先生」と呼べる存在。クモは生れながらに、用途に応じて糸を使い分けたり、リサイクルできる能力を持っている、知れば知るほど奥が深い生き物だということが分りました。その奥深さからは、人間が学べる点がたくさんあると思っています。
最近は、コンピュータゲームなどに夢中になる子どもが多く、自然界にある現実の世界から離れて過ごしているように感じられます。もっともっと、生活の身近にある面白いことに目を向けていただきたいですね。そして、ふと出くわす疑問について考えてみたり、そうしたことを忘れてはいけないのだと、ぜひ多くの方に心に留めていただきたいと思います。
──そうですね。私が幼い頃は、クモの巣でセミやトンボを捕ったり、クモ同士をケンカさせたりと、常に自然に接しながら生活していました。そんな中で、確かにさまざまな工夫をしていたものです。
大�� おっしゃる通りです。そうしたところから、洞察力が磨かれたり、知恵を養う力が備わるのだと思います。
──ところで先生、今後の新しいご研究についてお聞かせください。
大�� まだ詳しいことはいえないのですが、実は近々クモの糸の応用について発表する予定です。クモの糸がどんな形に姿を変えて世に現れることになるのか、楽しみにしていてください。
──発表が待ち遠しいです。強さと柔軟性を併せ持つクモの糸の神秘さに、すっかり魅了されてしまいました。本日はありがとうございました。
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| 『クモの糸の秘密』(岩波ジュニア新書) |
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