こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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江戸時代の人達は、植物の利用の仕方だけでなく 植物との共生の仕方も知っていたのです。

江戸で生まれた植物学−本草学事始

東京大学総合研究博物館教授

大場 秀章 氏

おおば ひであき

大場 秀章

1943年東京生れ。64年東京農業大学農学部卒業後、65年東北大学理学部助手、79年東京大学理学部助手、 81年同大学総合研究資料館助教授を経て現職に至る。88年には中国コンロン山脈での中国総合科学調査に日 本人として初めて参加した。著書に『秘境・崑崙を行く』(89年、岩波書店)、『森を読む』(91年、岩波 書店)、『植物学と植物画』(96年、八坂書房)、『植物は考える』(97年、河出書房新社)、『バラの誕生』(97年、中央公論社)、『江戸の植物学』(97年、東京大学出版会)などがある。

1998年10月号掲載


医学、薬学ともいえる江戸時代の植物学

──本日は、先生のご専門である江戸時代の植物学について、お話を伺いたいと思います。

この時代、植物学は「本草学(ほんぞうがく)」と呼ばれていたそうですが。

大場 そうなんです。しかし、現在の「植物学」とは少しニュアンスが違います。

本草学は、主に薬用の観点から、植物を中心に動物、鉱物など自然物を研究する学問です。当時の医療は、手術ではなく、もっぱら薬による治療が中心でした。薬の成分の多くは植物でしたので、「薬の本(もと)となる草」ということから「本草」と呼ばれたんです。そして、本草を研究する人を本草家といい、多くは医者でした。そういう意味から、江戸時代の植物学は、医学や薬学ともいえます。

──例えばお腹が痛い時、それに効くといわれている植物を煎じて飲んだりしていたわけですね。私が子供の頃くらいまでは、そういうことが日常生活の中に残っていました。

しかしなぜ、本草学が生れたのでしょうか。

大場 戦国時代までは、いきなり矢が飛んできたりして、明日のわが身はどうなるか分からないような状況でしたから、植物の研究や医療にはあまり関心がなかったといえます。その後、徳川家康が江戸幕府を開き、世の中も落ち着いて、「自分で養生すれば長生きもできる」ということが保証される時代になってくると、一人ひとり健康を気遣うゆとりが出てきたわけです。しかし、当時の日本には、残念ながら病気や治療についての文献、資料がなかったのです。それで当時つながりのあった中国で、江戸時代より少し前に、李時珍(りじちん)という人が著していた『本草綱目』という書物をもとに、日本での薬の研究がスタートしたというわけです。

ところが、今では信じられないようなことですが、当時の人達は、日本にある植物は全部『本草綱目』に載っていると思っていた。言い換えると、日本と中国の植物は同じものだと思っていたんです。しかも、この本には実にインチキな絵がたくさん描かれていたにもかかわらず、それを頼りに一生懸命研究していたんです。

──ということは、中国にしかない薬草を、日本中駆け回って探したりしていた…?

大場 そうなんです。その後、日本には『本草綱目』に載っていない植物があると気づいた人が、有名な貝原益軒(かいばらえきけん)です。

彼は晩年、黒田藩に仕え福岡に住むようになるまで、日本中さまざまなところを歩いて回ったんです。そして広い見聞をもとに『本草綱目』と照らし合せて、「日本には『本草綱目』に載っていない植物がある。また、この書自体完璧ではない」ということに気づいた。そして、『本草綱目』の一部を取り入れながらも、彼独自の調査結果をまとめ、日本版本草書『大和本草』を出したんです。


鎖国は個性的な本草家を生んだ

──旅をするのに相当な労力が必要だった江戸時代に、日本中の植物を調べた益軒は、非常に勉強熱心だったんですね。

大場 本草家は皆、とても熱心でした。もちろん、豊かな階層だった医者の中には、盆栽のような園芸的な分野に入れ込んだ人もいましたが、研究だけに没頭した本草家もたくさんいました。

いろいろな書物、文献などから、彼らが今のわれわれよりももっと強い探求心や好奇心を持って、研究に打ち込んでいた様子がうかがえます。

──江戸時代というのは、戦もなく、そうした勉強や研究に集中しやすい環境だったのかもしれませんね。

大場 そうなんです。しかも鎖国の時代だったから、あまりノイズに煩わされずに、自分の考えを貫き通しやすい、一つのことに集中しやすい環境ができたのです。鎖国は弊害ばかりが指摘されていますが、そういう意味でメリットも少しあったわけです。ですから、本草家も大まかな流派や学派はありましたが、みんな一人ひとり非常に個性的なんです。文献も単なるレポートや調査データというのではなく、自分の目で見たこと、確かめたことを、いきいきと伸びやかに書いており、それぞれの「人生物語」という感覚で読めて、ついつい引き込まれてしまいます。私は、彼らの生き方を見て、そこから江戸時代に関心を持ったんです。

──研究が人生の一部になっていて、その生き方が文章ににじみ出てくるんでしょうね。

また、文献の中には、図鑑のような精密な絵が描かれているものもあって、眺めているだけでも楽しいですね。先生の著書『江戸の植物学』の表紙にも、本草家の絵が使われていますが、聞くところによると装丁の賞を取られたとか。

大場 はい、おかげさまで。幕臣から本草家の道に入った岩崎灌園(かんえん)の絵なんですが、茎の太さなどで少し正確さに欠けてはいるものの、彼自身、とても優れた絵心の持ち主でした。

──先生の本には多くの本草家の絵が載っていますが、写真以上の伝達力があるように思いました。ただ見て描くのではなく、植物の特性をよく知っていて、見るポイントを心得ているんでしょうね。


ヨーロッパにある植物の多くは日本から渡ったもの

──鎖国の中、出島でのオランダ貿易を通じて、海外の植物研究者も数多くやってきたそうですが。

大場 オランダ人を通じて、日本にはいろいろなきれいな植物があるとか、お茶のように植物を飲用しているなどさまざまな情報が、ヨーロッパに伝わったんです。それで、日本の植物に興味を持った研究者が大勢いました。しかし、日本に来るためには航海など危険が伴いますから、生半可な気持ちでは無理だったと思うんです。危険を乗り越えて最初に来た人が、ドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルでした。

彼は、日本の植物を押し葉標本にして持ち帰っています。これは実物ですから、絵よりも情報量が多く、その後ケンペルはそれをもとに、日本の植物について本を書きました。その中には、植物の特徴だけではなく、柿とかツバキなどの有用植物を、日本人がどういうふうに使っているかについてまで書かれています。

その後、ヨーロッパの貴族や上流階級の人達の間で、ジャポニズムがブームになり、日本の美術工芸品を始めさまざまなものを収集する趣味が流行しました。もちろん植物も対象の一つで、そのためにいろんな植物がヨーロッパへ渡ったんです。

──ユリなんかも持ち出されたようですね。以前、「カサブランカ」は向こうのユリかと思っていたら、日本のヤマユリとカノコユリのかけ合せと知り、大変驚いたことがあったんです。

大場 当時は、ユリの球根1個が同じ重さの銀くらいの値段だったほど高級だったんです。

ユリ以外にも、ヤマブキやアオキ、サザンカ、ツバキ、それにツツジ類も大変人気がありました。これらは現在のヨーロッパでも、家の垣根や庭木に多く見られます。皆さん、ヨーロッパの庭は、いろいろな植物があってきれいだと思われるでしょうが、その中の多くの植物は日本から渡ったものなんです。


多様な植物に恵まれている国・日本

──そう考えますと、もともと日本は、たくさんの植物に恵まれている国なんですね。

大場 そうなんです。日本は島国で、しかも広大なユーラシア大陸の東に位置していますから、風が常に雨を運んできてくれます。その雨が植物には大変好都合で、植物が暮らすのにこんないいところはありませんね。

さらに、日本の国土は狭いですが、南北に長いため北と南では温度差があります。また、高い山や深い谷もあります。多様性に富んだ植物が育つんです。

──そういう恵まれた状況があったから、本草学のような植物利用の学問が根付いたともいえますね。

大場 日本人は本当に多くの植物を日常生活に取り込み、利用していましたね。しかし、無理な採取や利用は決してしませんでした。

──昔の人が植物を採取する時は、間引くようにして刈り取るなど、根絶やしにするようなことはしませんでしたね。

大場 森林にしても、人手が加わらないところ、たまに行って木や山菜などを採るところ、それから始終生活に使うところと完全に分けていました。江戸時代の人達は、植物の利用の仕方だけでなく、植物との共生の仕方も知っていたのです。

──最近、「環境共生」という言葉をよく耳にします。しかし、われわれはそれを理屈では分かっていますが、「では実際どうやって取り組んでいくのか」と聞かれると、具体的なノウハウは分からない。まさにそれを実行してきたのが、江戸時代の人々なんですね。

植物だけには限りませんが、「自然を大切にする」というのはただ「保護すればいい」とか「触らなければいい」ということではないと思うんです。手をかけてやらないといけない自然だってありますし、利用することでお互いが生き残っていけるものもあるわけですから、われわれはそれを見極めて、江戸時代よりも優れた植物との共生関係を築いていかなければいけませんね。

本日はありがとうございました。


近著紹介
大場氏の著書『江戸の植物学』(東京大学出版会)は第32回造本装幀コンクール・日本書籍出版協会理事長賞を受賞した。

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