こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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形も行動も、珍妙奇妙な謎の生物、変形菌。 生物界でも、ちょっとはみ出し者的存在なんです。

生物界のはみだし者−変形菌

国立科学博物館植物研究部主任研究官

萩原 博光 氏

はぎわら ひろみつ

萩原 博光

1945年、群馬県生れ。北海道大学農学部農業生物学科卒業後、国立科学博物館に勤務。農学博士。 専門は変形菌分類学、特に細胞性粘菌。著書に「森の魔術師たち−変形菌の華麗な世界」(83年、 共著、朝日新聞社)、「南方熊楠の図鑑」(91年、共著、青弓社)、「日本変形菌類図鑑」(95年、 共著、平凡社−写真下−)等がある。

1996年1月号掲載


南方熊楠先生の研究で有名になった変形菌

── 先生が最近書かれた「日本変形菌図鑑」を拝読いたしまして、変形菌という奇妙な生物がいるということを初めて知りました。先生はどういうきっかけで、この研究を始められたのですか。

萩原 もともとは、20年ほど前にここの博物館に就職しました時に、変形菌(粘菌)の研究をやっている人がたまたまいなかったため、大学時代キノコやカビ等の菌類の研究をやっていた私が担当にされたんです。実はその時初めて、変形菌という生物がいることを知りました。研究してみると奇妙で不思議な生き物なんで、だんだん興味が湧いていったんです。

そして数年前、有名な博物学者・南方熊楠先生の没後50年ということで、各地で特別展があったり、マスコミでもいろいろと取り上げられたりしましたが、その時に、数少ない変形菌の研究者ということで、私のところにもマスコミの方が取材に来られました。南方先生が日本の変形菌研究のパイオニアということはよく知っていましたが、取材に応じて先生と変形菌のつながりを調べているうちに、なるほど、やっぱり変形菌というのは面白い生き物なんだとますます確信し、のめり込んでいったという感じです。

── 先生の本で変形菌の写真をたくさん見ましたが、赤、黄、青、白、緑、紫、オレンジ等々、実にいろいろな色の変形菌がいるんですね。また、形もものすごくバラエティーに富んでいる。コケやカビみたいなものから、雪の結晶みたいに美しいものもあるし、小さいキノコとか虫の卵に見えるようなものまで、多種多様です。色や形を見ているだけでも楽しい生物ですが、そもそも変形菌とはどういう生き物なんですか。

萩原 変形菌は、単細胞生物です。細胞は、アメーバ状の形をしていて細胞核もちゃんと一つずつ持っており、雌雄の別もあります。ひとつの細胞の大きさは、他の生物細胞と同様、顕微鏡をのぞかなければ見えないほど小さく、バクテリアを食べながら、分裂を繰り返し増えていきます。ただし、アメーバ等と違うのは、変形菌は雌雄が合体すると、核が分裂するだけで、細胞分裂はしないんです。

そして無数の核を持つ大形のアメーバ体、すなわち変形体になります。変形体はあちこち動き回りながらバクテリアを食べて成長し、成熟すると、適当な条件の下で、突然、細かいキノコのような形をした無数の子実体をつくります。そこから胞子が形成され、地面に飛び散って、発芽して、新たな細胞を生み出すというライフサイクルなんです。


アメーバ状からキノコ状へ、数時間で変態

── 最初はアメーバのように動き回り、その後、キノコのように変身する・・・、確かに珍しい生物ですね。

萩原 変形菌の特殊さというか面白さというのはいろいろあるんですが、他の生物にない大きな特徴というのは、まさにこの変態なんです。例えば、昆虫の変態なんかは、いも虫からサナギ、そして蝶へというように、段階を経て進んでいくわけですが、変形菌は、今申し上げたように、アメーバ状の体が準備期間もなく、一気にキノコのような子実体に変態してしまう。この変身の奇妙さはちょっと他の生物では見られないですね。

── その変態の様子をもう少し詳しく教えてください。

萩原 時期的にはだいたい梅雨の終り、晴れ間が多くなる頃に行われます。それまで、腐った木の裏側や、堆積した落ち葉の下側などでバクテリアを食べて活動していた変形体は、胞子をつくるために陽の当たるところに出てきて動きを止めます。そうすると、アメーバ状の形が崩れて、全体がほぼ均一の網目状となり、小さな魂に分割されていきます。一つ一つの魂が、キノコや卵等のような形をしたその変形菌独自の子実体を一つずつつくっていくんです。この変態は夕方に始まり真夜中に終了するくらいの短時間で行われ、朝には完成した子実体が、陽の光に当たって乾くのを待っているというわけです。

子実体は、子嚢と言われる袋に胞子を詰め込んで持っており、風に乗せて胞子を散布するんです。

── なるほど。変形菌というのは、胞子から始まってアメーバのようなせいぶつになり、合体後、核分裂を繰り返して多数の核を持つ単細胞の変形体になるんですね。それで最後には、新たな胞子をつくり一生を終える・・・。


異星生物が出現!と、アメリカで大騒ぎに

── ところで、変形体がアメーバのように動き回るというのは、どんなふうに動くんですか。

萩原 変形体の移動は、時速数cmと極めてゆっくりのスピードなので、肉眼では動いているようには見えないほどです。扇形に広がって、バクテリア、カビ等の餌に向かって進んでいきます。

研究室にて。枯れ葉についている変形菌の標本を顕微鏡で見せていただいた。

── 大きさはどのくらいなんですか。

萩原 手のひらサイズのものをよくみかけますが、直径50cmくらいのものも決して稀ではありません。1m以上に広がった変形体を見たこともあります。変形体の大きさは、種類によって限界が決まっているようです。

また、変形体はナイフで2つに切ればそれぞれが独立して2つになりますし、同じ種類の変形体同士がくっるいて一つになってしまうこともあります。

── どの程度の距離を移動するんでしょうか。

萩原 移動の最終的な目的は胞子を風で飛ばすことですから、より高いところで子実体をるくろうとします。そのため草や木、石や岩の上などに這い上がっていく場合もあり、数m移動するものもいます。

実はそれで、ひとつ面白いエピソードがあるんです。「ススホコリ」という変形菌が1973年春に北アメリカで起した有名な事件です。その年は例年になく湿度が高かったため、変形体が大発生しまして、子実体をつくる場所を求めて電柱などに上がっていったんです。鮮黄色の大きな塊があちらこちらに出現し、しかも、どうも動いているらしいと分かったため、異星生物が地球を征服に来たなどというデマも飛び交うほどの騒ぎになり、住民を恐怖に陥れたんです(笑)。

── 確かに、こんな生物が地球上にいるなんてあまり知られていませんから、本当に怖かったと思います。

ところで、変形菌は動物の仲間なんでしょうか、植物の仲間なんでしょうか。

萩原 現在、生物世界は、生き物としての分類という点では、動物界、植物界、菌界、プロチスタ界、モネラ界の5界に分類されています。その中で変形菌は、単細胞生物であるという点で動物界・植物界に属さず、運動能力を持つという点でキノコやカビ等の菌類の仲間には入れず、また細胞核を持つ真核生物であるという点で、バクテリアや藍藻等の原核生物で構成されるモネラ界にも入れないということで、結局、プロチスタ界に入れられてしまいました。プロチスタ界というのは、単細胞生物で構成されていまして、運動能力のある生物も、葉緑素を持つ生物も含まれているという、系統的にはちょっと雑多なグループなんです。つまり、他の界からはみ出した生物のたまり場みたいなところへ入れられてしまったというわけです。しかし、このプロチスタ界でも、変形菌はちょっと異端者的存在でして、近い生物がいないんです。言ってみれば、生物界のはみ出し者というわけです。そういう意味では、異星生物みたいなもんですね(笑)。

萩原氏の研究室は同博物館筑波実験植物園にある
(写真は同施設内にあるサバンナ温室)


ゴルフ場のグリーンを真っ黒にすることも・・・

── われわれを取り巻く大きな生態系の中で、無駄なものはないと言われていますが、地球生態系におけるこの変形菌の役割とは、一体なんでしょうか。

萩原 変形菌の研究は遅れていて、分かっていないことが多いんです。まだまだ未知の生物、謎の生物という段階です。

しかし、例えば、森などへ行って落ち葉などが腐って堆積しているようなところの土を採取して調べて見ますと、変形菌がかなりいることが分かっています。イギリスの研究者の調査によれば、まず土の中に一番多くいるのはバクテリアです。次がカビで、その次に原生動物がいる。この原生動物の中の1割くらいを変形菌が占めていることがあるそうです。そんなにたくさんいるのに何もしていないということは考えられない、何か役割があるだろうとは思います。

では、何をやっているのか。ここから先は想像になりますが、変形菌の餌はバクテリアです。バクテリアには倒木や落ち葉を腐らせていく役目があるわけです。そのバクテリアを食べるということは、バクテリアの繁殖を抑制し、木や葉が腐っていくスピードを遅らせているということです。落ち葉の分解が急速に進むことを抑えれば、土壌の栄養が豊富になる、そして森林が豊かになるということにつながっていくのではないか、そんな役割が一つ考えられます。

── この珍妙な生物は、どういうところを探せばわれわれにも見つけられますか。

萩原 山や森林を歩くことがあったら、腐りかけた木のベンチとか立札なんかを見てみてください。また、ゴルフ場なんかでも、日陰のじめじめした窪地のようなところで、あまり手入れがされていない落ち葉の吹溜りなどに見つけることもできます。中には、グリーンにまで這い上がっていって胞子をつくり、グリーンを真っ黒にする変形菌もいます。ゴルフ場から変形菌退治の相談を受けることもあるんですよ。私としてはあまりお教えしたくないことですけど・・・(笑)。

── 私も、その極彩色でヌルヌルしたアメーバ状だったり、キノコのような形をしている生物を探してみます。

今日はほんとうに楽しいお話をありがとうございました。


近著紹介
萩原氏の著書『日本変形菌類図鑑』(平凡社)。 表紙左上のキノコ状の子実体が「ルリホコリ」、右上「スミスムラサキホコリ」、左下「タマツノホコリ」、右下「エリタテフクロホコリ」
近況報告

1997年12月6日−98年2月8日、東京・上野の国立科学博物館で企画展『変形菌の世界』を開催。 99年11月22日−2000年1月31日、栃木県立博物館(宇都宮)にてテーマ展『変形菌-菊地理一生誕100年記念』開催予定。 2000年7月20日−8月27日、仙台市立博物館において開催される生物特別展で変形菌が特別展示される予定。98年11月に東洋書林から出版された『図説 日本の変形菌』(山本幸憲著;日本の変形菌研究の第一人者)は、既知の日本産変形菌全種が掲載されており、興味のある方にはお薦めの書、とのこと。2015年、第25回南方熊楠特別賞受賞。


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